国交省告示15号/設計料

  • 2009.04.15
  • BLOG

姉歯事件後の様々な建築士業務の見直しの結果として今までの業務報酬の基準、建設省告示1206号の見直しが図られ、国交省告示15号として交付されました。
1206号も、昭和54年からあった割には一般の方には全く認知されていなかったのと同様、今回の改正も正直それほど知られてゆく事もないと感じますが、基本的に1206も15号もそれぞれ、実情の設計報酬とかけはなれた金額の基準であり、半分近いくらいしか請求がとてもできないようなのが現状ということもあり、医療報酬のように確固としたものでは全くない基準だったりします。
個人的な意見としては、額の多寡は置いておいても、全ての設計業務が同じ基準による報酬となるというのは、その設計者の能力などの違いやエネルギーのかけかたも様々なのが設計という事もあり一律に適用されるべきではないと思いますが、ただ、この告示までいかずとも、もう少し設計料というものの価値が認められ、きちんと請求しやすい環境に変わらなければ、日本のこのどうしようもない都市、住宅環境は決して良くはならないと思います。
実は、もともと1206号が作られた時にも、その基準が医療報酬のように、強制力を持つべきだという主張が設計業界からは出ていたようですが、もともと建築士法が昭和25年につくられた時に、設計と、施工を明確に資格として分離する方向だったものが、結局、日本古来の棟梁的な、設計施工一貫人びとを排除しかねない状況の中で頓挫してしまい、設計、施工、学者などが入り交じった「建築士」ができ上がってしまった時点で、設計料だけを取り上げてきちんとした基準を作る事は不可能だったんだろうと僕は思っています。
今、設計業界は、この告示15号を周知しようと努力していますが、その前に、設計と施工の分離をきちんと行わなければ何も改善はしないと思います。
国家で言う「三権分立」が分離されていないような状況にあるわけです。
もちろんゼネコンやハウスメーカーのように、設計施工一貫の日本独自のスタイルを今更否定するのは難しいですから、設計施工一貫で請けるのは認めるにせよ、設計という行為は分離をして、施主が設計料を払えば工事は他に頼む事ができるように、設計料をきちんと分離すべきです。
ゲーム機とソフトの抱き合わせ販売と同じで、本来それぞれに選ぶ権利を持てるべきなのに、それをセットにして消費者を欺いている面があるのは否定できないと思います。
まあでも、設計なんて概念がなかった時代に、今も残るようなとても美しい建築が生まれた事を考え、そして今の設計者の倫理観の欠如を思う時、問題はそう単純ではないと分かります。
全ては建築をつくるという事が「お金」の為になってしまったところに根っこがあると思います。
エコだ環境だって世の中騒いでいても、ほとんどが経済を活性化させるための文句でしかないような中、どうしたら、ひとりの設計者として、そんな時代に流されないでいられるだろうかと悩んだりしてしまいます。
そしてフッと思った事は、歴史に「もし」は無意味にせよ、もし日本が敗戦国になっていなかったら、今頃日本のまちなみはどんなだっただろう?と考えるのが何かヒントになるんじゃないかと言う事でした。また時間をかけて考えてみたいと思っています。