凱風館日乗/内田樹

  • 2026.07.21
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内田さんの本はいくつか読んできたくらいだけど、「凱風館」をよく知りたいと思い。。
2011年に大学を定年されるにあたり、長くされてきた合気道の道場や、習われてきた能もできるように、また様々なひとが集える「みんなの家として」でもあるし2階はご自身の住まいや書斎でもある。

少し前に書いた?僕は設計の仕事は死ぬまで続けるつもりだし生き甲斐ではあるのだけど、ずっと若い頃のようなやり方をしてゆくのも無理があり、またAIなどで世の中は大きく変わりつつある。
この自宅件事務所も、どちらにしても僕の寿命にも限りはある中で、様々な使い方をしたいと思えるような価値のある建物を作り、次の世代に渡せれば、なんて思いもあった。
事務所空間はそれなりに(無駄に)広いし、最近たくさんあった雑誌やカタログなど、もう自分は見ないな、というものはかなりバッサリ売ったっり処分したりしていて、シェアオフィスや、イベント会場など、他の方に使ってもらう機会を増やしてゆこうと思っていた。
またここのところ、サーフィンはもちろんやりながら、筋トレよりも東洋的な身体への向き合い方の方がこれからずっと動かせる体を保つためには大切だなと、いろいろ読んだりyoutube見まくったりして少し分かってきたことがある。
合気道を今から始めることはないけど、結局「小手先」つまり局所的な筋肉に頼ると本来の強い力も出ないしバランスを崩し、体にも悪影響がある。脱力して体幹から動くというのが本来の日本人の動きでもあった。というようなこと。
もちろん繋がっているけど「こころ」と「からだ」という二つの面で自分なりの追求をしながら、ここも、内田さんのようにそんな場にできればな、なんて想像して、本書を読んでみたけどそういう内容ではなかった笑

凱風館の設計は僕らの世界では知られている話だけど光嶋裕介さんという当時まだ独立したての方が、たまたま?内田さんに麻雀で呼ばれてたりして設計を依頼されたと。「みんなの家」という光嶋さんの本もざっと読んでその辺の経緯も改めて知ったけれど、その上でもなんだか合点がゆかない。内田さんならもっと実績と能力のある建築家といくらでもつながりがありそうなものだし、言っちゃいけないけど出来上がった凱風館は建築的にはそれほど評価ができるものではない。
凱風館日乗の方にその理由があった。勤めれれていた大学のだと思うけど校舎の新築にあたり設計者との打合せの中で「音は大丈夫か?」と聞いたら「防音は大丈夫です」と返された。いやそうではなく、教える場においては大声を上げなければ聞き取れないようではダメなのだ。自信のなさそうな回答でも聞き取ってあげなければいけないし、そんなニュアンス含め、教える、教えられる、という場があるべきなのだ。ということをその設計者は何も分かっていなかった。耳の痛い話だが、ほとんどの設計者はそう答えてしまうだろう。
この先は推測なのだけど、頭の固まった設計者にやらせるより、まだ実績はないけど素直で一色懸命耳を傾けれられるような人にやらせた方が良い。と思われたのだと思う。「作品」にしたいわけでは決してなかったのではないかと。
ルイスカーンも学校の始まり、みたいな話をしたけど、大きな木の下に自然と人が集い、語り、聞く、という事がシンプルな本質なのだ。共有すべき内容があり、伝えたい、伝えられたい、という気持ちがある。それを後押ししてあげるのが学校。
内田さんもそんな寺子屋的なあり方を作られていると思うし、僕もそんな事ができればなと、結構ずっと思ってきた。

なんかそれを言葉にできないかと思って、、「ひととなる」と思いついた。
「ひと-人」は「人間」に「間」がついて社会的側面を強調しているのに対してそれがない。僕は正直今の社会はずいぶん間違った方向に来すぎてしまっていると思うから、まずそれを外し「ひと」に戻る。それは他人との関係ではなく一人のホモサピエンスとしての自分に向き合うこと。他の動物にはない、そしてAIにも決して獲得できないものは何か?をもっと感じ考え、そこにこそ僕たちが生まれた理由があると考えてみる。文化的なこと「道」と言われることなど。
でもホモサピエンスも「動物」でしかないしホモサピエンスになる前は魚だったり進化の過程でずっとちがう形の動物だったことが僕らの細胞や骨格などに染み付いている。でも直立二足歩行を始め、手を器用に使うようになった事が決定的に僕らの動物としての特質を作っているにせよ、「身体性」というのは大昔の細胞の頃からの記憶を間違いなく受け継いでいる。無駄に動こうとしなければ本来の能力が発揮できるはずなのだが、「小手先」に無駄な意志を持って動こうとするから発揮もできず体に不調をきたしている。
そんな心と身体のありようともっとしっかり向き合うことで「ひと」となれるのではないか?
「ひととなり」という。そんな感じでどんな風に自分の心と身体と向き合っているか?そんなことに敏感に生きてゆけば、学びたいと思える「師」も現れるのだと思う。
内田さんはそういう方だから多くの人が集まる。
僕は全然まだまだだけど、気力と体力はまだまだある(と思っている)

先日ここでちょっとした教室?をされたいとのことで下見にこられ、お話を聞いていて、そんな僕の心境にとても叶う感じでしたので、ぜひに、とお伝えした。
「学ぶ」というのは繰り返し行うことで心と身体に覚えさせることだと思う。だから決してAIが代替できるようなものではない。
代替してくれる部分はどうぞどうぞとやってもらい、「ひと」である僕らはそんな学びに興じようではないか。
でも繰り返すけど「人間」の「間」の部分つまり新しい情報や人の噂話や、そういうものとは逆にきっぱり離れたいのでそこだけはご理解を。

ということでまずは気楽にご連絡ください。