八勝館/堀口捨己さん

  • 2008.02.27
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堀口捨己さん(1895-1984)。僕たちの世代からは、教科書の人というか、一昔前の、少し遠い感覚のする建築家でもあり、位置づけもどうも良くわかっていなかったので少し勉強しながら見てきました。
八勝館は老舗料亭で、みゆきの間(1950)は国体で天皇が宿泊するためにつくられたという。
戦後の物資統制の中では贅沢とも言えるが、よく見ればやっぱり木材は並材だったりしたのは、その時代の中では精一杯だったのだと思います。
結構都市の喧噪の中にあり、もともとはかなり広い庭園を持っていたようですが、今は敷地も小さくなり回りにはマンションなど建ってしまっていますが、都市の中にこのようなものが生きていることにはやっぱり価値があると思いましたし、当日も披露宴で使われるためにセッティングしてありましたが、こんな空間が日常的に使う事ができるなんて、素敵ですね。
堀口さんはり「利休の茶」という論文で受賞していますが、社寺建築にばかり焦点が当てられて来た中で茶室を論じ、利休の創作意図と空間構成を読み解いたそうです。
また、みゆきの間では、ふすま絵を横山大観が描く予定であったのを、よりその空間と解け合うものを求めるために拒否し、南方伝来の貴重な布を使い、それもせっかくの大きな布を細かく切って使った理由は、本来ふすま張りは古い着物でも切れでも構わないものをいかに仕立てるか、が大切だ、との理由だったそうです。
また、堀口さんが生きた時代は様々な建築様式が入り乱れた時代でもありました。日本の建築に西洋の様式が入り込み、その後、モダニズムと呼ばれる様式。。
その中で、「様式が先にあって事物的要求がそれに押し込められるのとは全く正反対」に「事物的な要求が充たされるところに建築の形が自然に生じて様式が生まれる」べきだと言っています。
その通りなんですが、ついつい前者に陥るのが人間の弱いところですね。。
堀口さんは、白い様式な建築もつくりましたが、だんだんと日本的な茶室的なものに傾倒してゆくようですが、上記のような、いわゆる「様式」に乗らずエッセンスとして空間を考えてつくった結果として、どうも位置づけがはっきりしない(様式に乗ればもちろん位置づけは分かりやすい)建築をつくったわけですね。。
その辺りは村野藤吾さんなんかも同じでしょうし(そう言えば「様式の上にあれ」という論文を書いてました)、巨匠と言われる建築家達は基本的には同じなんだと思います。それが大きな幹を生み出す位大きな存在になれば一種の様式化をするという事でしょうね。
と能書きはこんなところで。。
食事は、もとからあったお部屋(明治くらい?)で頂きました。
もともと材木商がつくったとのことで、良い材料で、良い日本建築でしたし、すきま風が少し寒かったですが、やっぱり何故か落ち着くんですよね。
文化って偉大だなって思います。
一人の突出した人間の感性よりも、多くの人間が何世代にも渡って磨いて来た感性が、心にしみるのは、考えてみれば当然の事ですが、今の時代、そんな大切なものをないがしろにし過ぎじゃああ〜りませんか?