住宅建築400号
- 2008.07.29
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月刊誌で、住宅に特化した専門誌で400号とはすごいではないですか。
僕は「住宅特集」は毎月とっていて、住宅建築は気になる時買っていて、でも最近は面白い特集が多いので結構毎月買ってしまっています。
このどちからくらい毎月購読するのが住宅を主とした設計事務所としては筋だと僕は思っていますが、どちらをとるかで、スタンスが違ったりもします。
今回の中で、内藤廣さんが分析していますが、住宅特集がもう少し「作家性」よりなのに対し、住宅特集は、「匿名性、ローカル」寄りだという、その違いが購読する側の違いでもあると思います。
400号続いた理由はもちろん、時代や売れる事に流されない哲学が底流に流れていたからだと、どの世界にも言える事だと思いますが、僕も独立してまもなくは、やはり「作家性」にこだわりが強かったのが、だんだん住宅を軸足に設計を重ねてくると、「無私」な気持ちが分かってきます。
かと言って、つまらない「当たり前」なものをつくるつもりはないのですが、かと言って、意味の無い「変わった」ものをつくる無意味さは十分に意識しているつもりです。
で、ちょっとびっくりですが、400号の特集が僕の好きな村野藤吾さん特集でして、でも、モダニズムというのも結局ある「時代」であったのに対し、村野さんは時代には巻き込まれず、村野さんの「好み」ではあったものの、時代を超えて人を惹き付けたという意味で、この特別な特集に選ばれた意味も理解できるものです。
村野さんへのコメントの中で、さすがの青木淳さんが『目に見えるものから、目に見えない空気のかたまりを感じさせること。それが村野藤吾にとっての表面の意味であり、それが誤解を招く表現を使えば、彼にとっての「装飾」であったのではないか、と思う』とは達見ですね。
大切なのは目に見えるものではなく、目に見えないこと。それは建築でも同じであり、目に見えるものに流される限りは、時代に流されるということですね。