伊豆へ

  • 2018.08.27
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今月は旅行続きですが、ここしばらくあまり出かけていませんでしたのでご容赦をw
旅館の良さを感じたのは10年前ほどからですし、私の家も旅館の良さを毎日感じられたら良いに決まってるし、やればできるんだから、と作った面もあります。その結果、中途半端な旅館なら家の方が良いなあ〜となってしまい、その後それほどたくさん行けてませんが、『いつか旅館の設計をしたい』という思いはずっとあってたまには行くように(研修ですね)してます。で、今回の宿は温泉のお風呂が充実していてお料理も美味しかったしおもてなしも良かったのでおすすめできるところでした。ただ食事がお部屋でなく専用の場所に行くという、ちょっと面倒だなあ〜と思ったのですが、その場所も良い雰囲気の場所でしたし部屋食の良さもあれば、そうやって気分が切り替わる良さもあるよな、と思ったのと、良い旅館が(クソ)高いのは部屋食だと中居さんがそれほどお部屋を担当できなかったり、食事を厨房から各部屋まで運ぶ、というのは部屋数が多ければそれも大変なことなので、それが理由でもあるはずで、多分だからこの宿は部屋食にしなかったんだろうな、だからそんな高くないのに宿の質は高かったのかな?と一応プロの視線で見てきました。

までも一番のご馳走は、こうやって緑(あとこの下は川が流れてます)に思い切り囲まれた気持ち良さなのかもしれません。

奥浜名湖あたりで良質な旅館を作るって企画はどこかに転がってないですかね〜w

で、未だに行ってなかった「江川家住宅」。白井晟一が「縄文的なるもの」で「『友よそんな調子でなく、もっと力強い調子で』と語ってくれるよう」と言い、「民族の文化精神をつらぬいてきた」ものとして「これからの日本的創造の大事な契機」とするためにも「創造の主体となる自己を投入」しなければならない、つまり参考にするべき「スタイル」という今の世の中のほとんどを覆い尽くしているものとは違う次元のものだからこそ「もっと力強い調子で」となるのだと思うし、だからこの目で見て感じて置かなければ、と、今頃やっと、です。
白井さんはまた「武士の気魂そのものであるこの建物の構成」とも書いてますので、「日本的創造」のためには「武士の気魂」に自らを投じろ、と読み替えても良いと思うけど、この文が書かれた1956年からさらに現在に至り、さらに弱々しい調子の私たちにはそんな「創造」はもうできないのかもしれませんね。力強い調子の建築、というのはもちろんたくさん作られていますが、精神や魂の強さから必然的に生まれる強い調子、ではないのですよね。