人間と建築/丹下健三

  • 2017.02.15
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有名な「美しきもののみ機能的である」というのはたまに使ったことがあるのに原本を読んでいなかったので、と、、昭和45年、僕が生まれる前の本です。

伊東忠太が「archtecture」の訳に「建築」を提唱したのが1894年のようで、建築士法が成立した(つまり国家資格として建築士が誕生した)のが1950年らしい。そして建築家、というのは協会があったりはするけど国家が定めた資格でもなく、自分が建築家だと言えばそう?なのだけど、一方では建築士はびっくりするほど沢山いる。と変な前置きだけど、つまり日本においては建築というのは輸入した概念であり存在であった中、「建築家」像を一身に背負っていたのが当時の丹下さんだったと言えるので、本書は、「建築」「建築家」かくあるべし!の王道を語ったものと言えます。

そして一番大事なのは「創造」であり、一方「伝統は常に形式化し、固定化してゆこうとする傾斜を内に秘めている。伝統を創造に導くためには、伝統を否定し、その形式化を阻止する新しいエネルギーがそこに参加しなければならない。伝統の破壊がなければならない。。。。この伝統と破壊の弁証法的な統一が創造の構造だと言えるだろう」と言い、「もののあはれ」や「わびさび」はその破壊に欠けたある種、退廃的?なものとして切り捨てています。確かに当時の丹下さんは、新しい日本ににおける新しい建築を生み出し続けていたように思いますし、逆にその新しさも飽和?してしまいそれができなくなったからか後期の丹下さんの建築には力がなかった、と言えるのかもしれませんし、槇さんや谷口さんは、「もののあはれ」的に洗練を続けて活躍されていますので、必ずしもどちらが正しいというより、時代だったのだな、と感じます。

そして「美しきもののみ機能的である」は2頁ほどのものですが、、「機能的なものは美しい、という素朴な、しかも魅惑的なこの言葉ほど罪深いものはない。これは多くの気の弱い建築家たちを技術至上主義の狭い道に迷い込ませ、彼らが再び希望に満ちた建築に帰ってくることを不可能にしてしまうに十分であった。彼らは『美しい』という言葉をひそひそとは語ったが、堂々とそれについて語ることを躊躇した。。。。」

「ある人は、この今の日本で、美は悪であるという。確かにそのような面がないとは言い切れないものがあるであろう。しかしだからと言って生活機能と対応する建築空間が美を実現し、その秩序を通してのみ、建築空間は機能を人に伝えることができる、ということを否定しうるものではない。このような意味において、『美しきもののみ機能的である』と言いうるのである。」と。

もう少し具体的でないとイメージしにくいけれど、丹下さんは広島の平和記念公園に壮大なピロティを作り、多くの人が集まる場としてとても機能をしていると実感をされているけれど、もし「そこがじめじめとして陰鬱であり、不潔であるならば、それはピロティでない」つまり形がピロティならなんでも機能するわけじゃない、というのはその通りですよね。そんな意味では居心地が良くなくて、帰ってテレビ見て寝るだけの家なんて、家ではない、とも言えますw。

以上、乗り越えないといけない大きな問題だと、僕は思いますが、それから50年近く過ぎても何も解決されていません。それは後期の丹下さんがその言葉を体現できなくなってしまった(新都庁舎とか)からその言葉に説得力がなくなってしまい、その後の建築家たちもそこから目を背け続けてしまったのかもしれませんし、むしろそれを体現し続けたのは村野さんだったようにも思います。

僕は「もののあはれ」や「洗練」派なのでそこは違いますが、「美しきもののみ」という言葉はずっと背負って行きたいとおもっています。