人はなぜ「美しい」がわかるのか
- 2013.07.06
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読んでみてなるほどと思いましたが、「美しさ」という誰にも理解できるものについて書かれた本ではなく、タイトルの通りで、分かる人も分からない人もいて、「”美しさ”とは各人がそれぞれに創り上げるべきものだ」と考えて書かれた本です。
著者は子供の頃から流れる雲などうっとりと眺め続けてしまうような子だったようで、そんな面が社会への不適応の原因と考え、いつの日からか美しいものに対する感受性を閉ざすように心がけてしまったような人生の持ち主で、だからこそ美しい事を分からない人間が何故多いかを考え続けてきたようです。
まず何が美しいのか?
「この世のありとあらゆるものは、ありとあらゆるものの必然に従って『美しい』のです。『ありとあらゆるものの必然』とは、、『人間の都合と関係なく存在している』ということです。」
また良く言われる合理的なものは美しいという事に対し「『合理的だから美しい』のではなく、『思惑を超えた自然だから美しい』のです」と。まあここまでは目新しい事ではなく、僕もそう思っています。
次に何故美しいが分かるかというと、「『リラックスを実現させる人間関係』は必要で、そしてもうひとつ『自分の所属するもの以上にいいものがある」という実感ーーつまり『憧れ』がなければ『美しい』は育ちません」と。確かにね、と思いますが、これは個々人の胸に手を当ててみないと実証はできないかもしれないですね。
次に何故美しいが分からなくなるかというと、上記のように「憧れ」の対象である「美しさ」を認めるという事はある種全能のものへの服従というか、「『美しいが分かる人』は敗者」だと。ここはなるほど!と思いますし、僕も最近だんだん社会から離脱??してきてやっと素直に美しいなんて言葉が吐けるように変わってきたようの思いますし、大企業でバリバリ働いている人は美しい、なんて言ってたら白い目で見られそうですよねw
最後に国家の話が出て何でだろと思うと、「国破れて山河在り」ですが、「世界は美しさに満ち満ちているから、”美しいが分からない社会”が壊れたって、別に嘆く必要も無い」と結ばれます。
僕なりには今まで「美しさ」を考えてきましたが、この何故分からなくなってしまうのか?というスタンスは初めて読んだように思いますし、またとても重要な事に思いました。
一度、国破れれば良いのかもしれませんねw