メメント

  • 2009.07.09
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面白い映画のDVDでした。
「何度でも繰り返してみたくなる映画」だったそうですが、「前向性健忘症」とかいう、発症後の記憶が10分と続かない主人公のとぎれとぎれの記憶をパッチワークのようにつなぐ独特のストーリーが、その展開を予想させないために、常に見る側を覚醒させるような、そして最後にやっと全てが見通せるという映画だったので、何度見ても飽きないのかもしれません。
もし、今後見るかもしれない方のために(というか面倒なので)ストーリー詳細は書きませんが、記憶が続かないために、メモや自分の体へのタトゥーを残す事により、今後の自分の判断をしてゆきますが、断片的な、(意図的な)間違ったメモやタトゥーが自分を間違った行為に駆り立ててゆくというか、そんな感じでした。
通常僕たちは、自分の記憶は連続的で、疑う余地の無いものだと信じ込んでいますが、もしそうでないとすると、というのがどんなに恐ろしい事かをこの映画は感じさせてくれます。
そんな症状になれば、何も信じる事はできないわけで、だから自分の筆跡のメモが唯一信じられるものになります。
でもでも、よく考えてみると、僕たちでさえ、本当に自分の記憶がそんなに全て連続的で、信じるに足るものかどうかは、結構疑わしいんじゃないでしょうか??
寝ている間は意識はないですし、トラウマのように意識的でなくても無意識で恐れる対象があったりと、「意識というのは無意識という大きな氷山の内の海上にでた一部である」というようにも言われるように、意識は無意識に操られているのは事実なんですから。
例えば「貨幣」というのは僕たちは無意識のうちに価値のあるものだと信じこまされているように、この社会が壊れないために僕たちが信じ込まされている事は沢山ある、というよりそんな事ばかりなんだと思います。
でもたぶん、記憶をすぐ忘れてしまい、記憶の連続性がなくなれば、貨幣や、愛情などと言った価値も全てが無意味なものに感じられてしまい、全てが疑心暗鬼になるだろうと思えば、やっぱり僕たちは何かを信じ込まされて生きてゆくしかないのかな、と思わされたりもします。