ホモ・デウス

  • 2020.01.01
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新年おめでとうございます。新年早々ですがたまたま読み終わったのと、私たちの未来を考える上でとても重要と思いましたので。。

3年ちょっと前にサピエンス全史をとても重要だ、と書いて本当に思ったのですが本書はノーチェックで更に新しいのが出ているようですがまずはこちらから読みました。
そしてノーチェックだった理由として、本書にも書かれているように心理学やその他多くの学問が「WEIRD(Western,educated,industrial,rich and,democratic)」に該当する人々を相手にして抽出した結果ばかり扱ってきた為に、それ以外の(私たち日本人とか)人々もWEIRDのように振る舞うと思い込まされている、というのは事実だと思いますが、結果として本著者のような出自(名前)だと何となく正統ではないように感じてしまわされているのかなあ、と自戒を込めて思いました。
また前作同様、僕の雑な文章でエッセンスが伝えられるほど浅薄な本ではないので、ご興味ある方には是非オススメしますが、まず大事なのは「生き物はアルゴリズム」という意味を理解することで「アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至る為に利用できる、一連の秩序立ったステップ」つまり、動物でも人間でも、目の前の時間は一つしかない中ために、ある一つだけの行動を選ぶしかないし、その選ぶ基準(人間の場合はとても複雑で入り組んでいることもあるけど)が私たちには内蔵されていて、それは計算機やコンピュータを同類のものである、という考え方です。
そして近年の自動運転のようなものは、莫大な「データ」を蓄積しそれを処理する能力から生まれますし、それはかなり人間の能力に近い(超える?)ものになりつつありますが、私たちはまだそれを、所詮データでしかないと思っているけど、著者はそう遠くない未来に、まるで映画のように、データの集積の世界が人間の存在を飲み込む、というか無意味化させてしまうのではないか、ということと、その時でもごく一部の人間はその最先端のデータを操る側として、まさに神=デウスとなり、不死の技術などを独占するかもしれない、ということで「ホモ・デウス」というタイトルです。
雑な要約なので更に乱暴に聞こえると思いますが、著者は、あり得る未来だから気をつけろ、と言っているわけで、生き物や人間が単なるアルゴリズムであれば自動運転車以上の価値を持たないかもしれないけど、本当にそうなのか?データは知能レベルは人間を超えても「意識」は持ち得ないと思われるが、意識が知能に劣るのか?と問いかけて終わります。つまりそこを考えないとヤバいですよと。
また途中でマルクスの資本論の話が出てくるのですが、あれは(本書とある種似た)予言の書だったし、とても的を得ていたのだけど、結果共産主義が敗北したのは資本主義陣営側もそれを読み、役に立つ部分をかなり自ら側に導入したからに過ぎない(日本なんてかなりそう)のであり、資本論の予言は外れたけど資本論があったからこそ資本主義が軌道修正をしてより良い方向に向かったと考えれば、本書もそのようになってほしい、つまり人間が気づくことでデータに飲み込まれるような世界は避けてほしい、ということだ。

世界の大きな力はWEIRDに握られ、またGAFAが実際そんなデータの世界を推し進めているけど、著者はイスラエル人だから書けたのかもしれない。でも彼は仏教徒ではないからその視点で見てみるのも良いかもしれないと思う。つまり上記のようにデータの前で個々の人間が霞んでしまうのは、西欧では「神」に人間の存在を投影し続けてきたけどその神が死に、「貨幣」を神のように扱ってきたけどそこには「愛」などはないから、データが取って代わっても良い状況を生んでしまったと言えるけど、まあ日本でも中国でも貨幣が神な状況は変わらないにせよ、あちらのように「意識」の正体が分からないからと言って知性の方が重要だ、なんて発想には、仏教はならないはずなのにな〜と思うからです。
そしてデータの世界は益々知性を高めるんでしょうけど、おそらく人間じゃないとできない大切なことは「フォーカス」というか、大事なところにだけ焦点を合わせることじゃないかと思います。データの集積としてではなく「全体性」として感じることというか。でもデータに日々流される世界にいるとその能力も衰えかけているようにも思うので、そこは気をつけないといけない。
そしてチェスや医者や弁護士の代わりは人工知能の方が優っても、(まともな)建築だけは生み出せない、と信じる。