ヘンな日本美術史/山口晃
- 2025.03.10
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小林秀雄賞、で探して見つけたけれど、僕には大変興味深く楽しく読めた。
以前書いた?か1年ちょっと前に日本画家の畠中光享さんの絵をネットで見つけて買ってしまい、それ以来日本画について調べたり、高じて日本画材を集めて描いてみたり、絵をまた買ってしまったり、してきた。
ただその過程で思ったのは、自分が欲しい絵って、好きな画家って、あまりないってこと。
というよりその最初の、僕にビビっと来た絵が、あまりにもその辺りの絵画と違うからそうなってしまったのかもしれない。
ご興味あれば、一番下に貼っておきますが、「蓮華手菩薩」。いわゆる掛け軸にありそうな仏画、では全然なく、つまり描き手の世界なのだ。寺に生まれ仏教に傾倒しインドへも度々通い、という方で、日本画家、と括りたくないような深い世界を持たれている。
本題に戻り、本書の著者は油絵系の画家で、描いて来た立場から「日本美術」って本当にヘンで不思議でとても魅力的なものだったのに、今の日本画はダメだ、とまでは言わなくてもそれに近い思いを持っているようだ。
前回書いた岡倉天心なども、ダメにした側で、つまり、西洋の影響によって写実的で透視図の技法に影響されてしまったから、それまでの「ヘン」さを失ってしまった。確かに明治以降の有名な日本画家の作品を見れば、その前の有名なところで言えば若冲は、写実的とは言えるかもしれないけど西洋の陰影や距離感を意識した本当の写実とは根本的に違うことが分かる。
そしてその西洋の写実は、写真というものが生まれ、ある種の存在意義を失い、僕も専門家じゃないから適当に書くけど、印象派や、その後の現代美術なんてものが生まれる素地を作ってしまったのだと思う。その存在価値を失いかけていた西洋の絵画に一生懸命近づこう?としてしまったのが間違いで、日本にはもっと独特の、優れた美術があったのだし、よく言われるようにその素地が日本のアニメ文化を生んだ面はあったのかとは思う。
でも岡倉天心の時にも書いたように、時代の流れ、というのは個人の想いや努力ではどうしようもないような強さを持ち、「西欧化」を目指す過程では「日本らしさ」は排除され、価値のあったものもいつの間にか忘れ去られてしまう。そしてそこに著者なりの目利きと、脚光を当てたところに本書の大きな価値があるのだろう。帯の「常識をくつがえした」というのもそこなのかな。
著者が選んだ絵、たちは是非手に取って見てほしいけれど日本美術すげー。でも著者は「毒にも薬にもならない」ものが好きとも書いてあって、僕なりの言葉で置き換えると「押し付けがましくない」かな。変なメッセージ性や、無駄なリアリティや、透視図による視点の限定、などというのはある種の押し付けで、毎日やら、長い時間見ていたら疲れるのだと思う。そういう意味で優れた日本美術は生活と共にあったり、アニメのように毎日見ても飽きない面があるのかもしれないし、日本美術の最も大切なところじゃないかと思ったりする。そして何が根本的に違うか?と言えば「線画」じゃないかと思う。でも世の中に「線」などなく、面と面の境界があるだけなのだけど、中国や日本では筆でその輪郭を線で表現するのは一般的だったけど、西洋画はあくまでリアルなものとして「面」で表現する。線で描くというのはある種の「抽象」だから情報量は少なくなるのだけど人間の図像に対する脳の反応に合っているのか?脳が無駄に疲れないけど必要な情報やニュアンスだけは伝える、って面があるように思う。
で、畠中さんの絵の話に戻り、今までまともな絵なんて買う気にならなかった理由は、毎日見たい絵なんてないと思っていたからかも知れず、この絵は毎日見たいと思えたから買ったように思うし、実際1年以上リビングにかけっぱなしだけど、しみじみ?本当に良かったと思うのだから、上記の意味での日本美術の価値があるはずだ、と思っている。また他の日本画家さんは線画でなく面で描いている方も多いようだけど、やっぱり畠中さんは線画にこだわってられるというのも、僕は良いと感じる理由なのかな。
建築の世界も同じだと思っていて、メッセージ性というのはもちろんモニュメントや権威や象徴性が必要な建物には必要かも知れないにせよ、日々を過ごす住宅にはむしろ「あってはならない」ものだと思う。
「毒にも薬にもならない」、ずっと前に書いたけど建築家吉田鉄郎の「みていやでない」建築に通じる、作家性や作品性から離れつつも、洗練されたもの、にこそ永続的な価値があるのだと思う。最近亡くなられた谷口吉生さんの建築はまさに「みていやでない」素晴らしい建築だと思う。
ずっと見ていて疲れないもの。色々試されると良いと思うけど、僕なりにそれを意識して設計して来た結果として、今の作り方に行き着いたと思ってます。