ファスト化する日本建築/森山高至
- 2025.05.30
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どこの学会的なところもそうだろうけど、権威的なものに文句も言いにくい世界は建築も同じだけど、森山さんは言いたい放題。
隈さんにも言いたい放題なのは学会的な部分で、隈さんは設計の世界では権威だ。つまりトップの建築家たちはコンペやプロポーザルで選び選ばれ、また建築雑誌も隈さんのような権威に媚びているから、それに歯向かうような奴らは選ばれず、掲載されない。という構造があるから建築家という人たちは隈さんを表向きに批判したりしない。
ただ本書はもっと広く、日本に建つ建物全体がペラペラに(ファスト化)してきていることを描いている。
「料理の世界で、カニ風味かまぼこをカニすき焼きやカニ鍋に出す店はありませんし、、インスタント珈琲を淹れる喫茶店もない。。。ところが建築業界では、そういったファスト的なやり方が進んでおり、フェイクな素材の使用も、早く、安く、のためには、当たり前となっていた」
僕も好きな譬え話ですが、分かりやすいと思う。
でも大切なのはそれが「売れる」ことだしそうしなければデベもゼネコンも工務店もそして我ら設計事務所も生き残れないのだから、そのフェイクが消費者に選ばれる社会になっている必要がある。食の世界ではもちろん大部分がファスト化して、一部に高級なそうでないものもあるけど、庶民はほとんどを前者に頼らないといけないのはある程度仕方ないだろう。建築の世界もそれがファストフードのように実際安いなら、僕も文句は言わない。でも建築はファストのくせに「高い」のだ。
だったらもう少し出せば、フェイクじゃない、手間暇かかった、結果長持ちして満足できるようなものが出来るから、ぜひ知って欲しい、と思うのだけど、「フェイク」が当然だし、本物の素材なんて高すぎるし手入れしないと長持ちしないなんて偏見を植えつけられている。隈さんも木材は使うけど本物にこだわる必要はない、なんてどっかに書いていたり、本物を雨ざらしに使って「腐る建築」なんて騒がれたり、庁舎なんて建築単価が絶対高いものなのに外部に合板を平気で使ったりしている。
先ほど書いた「売れる」で思い出すのは村野藤吾が師匠の渡辺節から「売れる設計」をしてくれと言われたという話。ただそれは当時の大阪の渡辺さんに依頼するような建築主がとても「目利き」で良いものを本当に分かる世界だったのだ。一方今の家を作ろうとしている人たちは、失礼だが本物を知らなすぎるし、それは日本の教育やメディアや住宅産業がそう仕向けているようなものだから、責めるべきはそちらなのだけど。
ただ素人が建築の複雑なことを深く理解するのは簡単じゃない。例えば大病になった人が、自らにわかに仕入れた情報で、医者に向かって、こういう治療をして欲しい、とか、難しい事案で弁護士に依頼せざるを得ない時に同じようなことは、普通しない。すごーく美味しいものを食べたければ、すごーく腕の良い料理人に「お任せ」ちょっと好みは伝えて、くらいが一番良い。それは分かると思うのに、自分の家の場合だけ、溢れかえる「間違った」情報に踊らされている。
美味しいものを食べにきたのに、材料の成分はなんだ?とかそんなことばかり言うのではなく、その辺りもしっかり考えて、美味しいものを提供している料理人を見つけ、あとは大きな希望を伝えて、任せる。それが一番良い結果になると、僕は信じる。
とは言え、近くに任せられる専門家がいるのか?偉そうなことを言う僕はどうなのか?
設計は良いものができても、作ってくれる職人がいなければどうするのか?いや実はそれが心配なところで、まだ10年くらいは僕ら世代の職人も頑張ると思うけどその後くらいになると、難しい仕事ができなくなってくるかもしれない。でもそれは世の中にできる建物がファスト化して職人じゃなくても作れるようになってきているから余計職人が不要になってきているから、でもある。
だからせめて自分の設計はファスト化の反対。つまりきちんとした素材を手間ひまかけて、職人んさんにやりがいのある、次の世代を育ててもらえるような仕事を、細々でも続けなければ、とずっと思っている。そして仕事以外でも、食べるものは出来るだけ素材から自分で作り、服は化繊の入らない素材を大事にしたものを選び、「作りやすい」「売りやすい」から離れたところで生きていこうと思う。