スピリチュアルズ「わたし」の謎/橘玲
- 2023.05.12
- BLOG
肌が合うというのか最近続けて読んでいる。。
「わたし」という謎はいつまでも解かれることは無いとしても追い求めるには一番大切で楽しい?謎なのだと思う。でも哲学やら心理学やら「学問」というのはその分野でメシを食う学者さんたちの権力闘争でもあり、学校の授業がつまらなくて形式的に過ぎないのと同じように結果役に立たない。
橘玲さんを好きなところは「進化」と「動物」をよく引き合いに出すところで、僕が知っている限りの学者はその二つを自分の論に引き入れることは好きじゃ無いのでは無いかと思うけど、「人間」を本当に深く知るにはその二つは不可欠だと思うのだ。
「進化」は何億年という想像を超える長い時間の中で枝分かれした一つの枝の先に私たちもいるわけだけど、つまり脊椎動物とか、哺乳類とか人間にまだ近い生き物たちとは多くの部分を共有していて、でもある「環境」の違いでちょっとした差異が生まれて枝分かれしてきている。当たり前だけどどの動物も敵から逃げたり戦い、エサを手に入れなければ存在できないのだから「判断」なんてしなくてもそれができるように体が勝手に動くように脳内物質やらが分泌する様にできている。そして大きな環境変化で種族が全滅しないように、積極的/消極的などのいろんなキャラの個体が混ざって生まれることで、その場に適応した奴がその種を生き延びさせてきている。
農耕文化ではコツコツ働ける奴が一番価値があるけど狩猟文化では一発屋的な才能が求められる様に、いろんな側面で多様な性質を持った個体が存在する様になり、そのキャラについてよく言われる5つの因子を著者は下記の6つに分類し直し最後の二つを追加をしている。
「外交的/内向的」「楽観的/悲観的」「同調性」「共感力」「堅実性」「経験への開放性」「知能」「外見」
最後の二つは一般的に言われる事がない理由は、それを言うと差別的になるから。でも間違いなくキャラのうちでも大きな部分であるけど、自由と平等!なんて世の中では大きな声では言えないんだろう。
その他のものは性格診断的なものでよく耳にするようなものだけど「経験への開放性」というのは例えばアフリカで生まれた人類が、アフリカに留まったものもいれば、海や氷を超えてとんでもなく遠くまで辿り着いたものも居たことを考えれば大きな差があることが分かるし、そんな奴こそベンチャー向き(僕は違うかな?)なのだろう。
僕は普段本を読むときは気になったところに付箋を貼って、それを頼りにブログを書いたりするけど、本書は量と密度ともに大きくて、とてもやってられないので気になる方は是非お読みを。
本書にもあるように、FBで何をいいねしたかのデータでその人のキャラが簡単にわかってしまうし、そんなビッグデータが既に莫大に吸い取られている世の中をどう考えるかはまた別の話になってしまうけど、北朝鮮の人と(言葉が通じるとして)話しても価値観などが違いすぎてチームで何か実現なんてできないだろうように、日本人同士でもそれに近いことがあるのだから、やっぱり人間の必然としてそんなキャラに溢れた、話し合っても理解し合えない世界なのだと思うところから始めないといけないのだろう。
そして著者が他の本でも書いているのは、そんなキャラは実は努力ではあまり変えられず、所詮「遺伝」で大部分が決まってしまっているから、「啓発本」読んだって変われないよってこと。そしてそんなキャラはある環境では優れて/劣っていても環境が変われば逆転するのだから、自分のキャラを弁えて生きるべき場所を探す方が良い、ということ。
また国レベルの話では「伽藍とバザール」という喩えを他著でも書いているけど、前者は閉ざされた限られたメンバーの世界、後者は開かれた、誰でも出入りできる世界で、稲作文化や日本の終身雇用的な社会は前者で、だから評判より陰口を恐れ、アメリカなんてさまざまな民族が集まって出入りするバザールであり、だから失敗してもやり直せるし評判を求めて努力する社会である、と。結果日本よりアメリカの方が「ずーっと」会社を愛し仕事に充実感を感じている、そうだ。え?と思うけどそんなのも日本の生産性の低さの大きな原因じゃないかと思う。日本のそんな閉鎖的な既得権の世界は壊してゆくべきだろう。そして日本人はそのように陰口を言われるのを恐れるために、SNSでも批判めいたことを書くと自分に返ってきかねないから避けて、より「ホワイト」な社会になってしまっているのかも。
と、まとまらないけど自分の頭の中はそれなりにまとまりました。