コールハースは語る

  • 2023.05.08
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最近世界視点での建築を考えていないな、という反省もあり、その意味ではやっぱりこの方。
自戒も込めて、建築設計ってついついナイーブというか、極端には「自分」という枠内、広くは「日本」や「現在」という枠内。言い換えると「既得」に守られてついつい考えてしまう中で、このコールハースという建築家はそれを「ぶっこわーす」と昔からやってこられ、建築の世界にとても大きな影響を与えてきたと思う。
「今や建築とセレブリティ(有名人)が相互補完し相互依存するようになったことで、実にひどい事態になっています」「文化も市場経済の一部になってしまった」「市場が完全に食い尽くしていない領域は政治だけ」「商業的な力やひどく制限された力といった外面を超えた真の想像力のことを考えているのなら、政治こそ文化なのです」
日本の建築家を見ていてもこんな発言ができる人は皆無じゃないかと思うし、市場やメディやと相互依存するしかない、というのはやっぱり文化から「逃走」しているのではないか。
そしてその一方で「ショッピング」というものがあらゆる人間の活動に入り込み、美術館などのあらゆる建築に徹底的に影響を与えているにも関わらず、建築家はショッピングというものをまともに観察しようとせず、建築雑誌に取り上げられることも稀である。それは「我々が建築を思慮深いものと捉え」てしまっているからだけど「建築はもはやそんなものではない」と。つまり「幻想」から抜けられない、ということかな。コールハースはそこにはとてもドライな姿勢を貫いている。
また「緩慢さ」は「都市が従来のような堆積作用を行うための必要条件である」「我々にとっては今でも都市を本物にするモデルなのです。一定のスピードを超えて都市建設が進められると、たとえ全てを石や本物の素材で建てたとしても、こうした真正さは犠牲になってしまう」
つまりハウスメーカーが面的に開発するような住宅地はロクなものではないし、さらに本物の素材も使わないのであれば、、という事なので、肝に銘じておかなければいけない。
都市レベルでなく住宅といった一つの建物であってもその「堆積作用」は必要だと思うし、「緩慢さ」に耐えるためには軽薄な人工素材ではなく、軽薄な流行のデザインでなく、と、僕は思います。