アマン伝説
- 2022.07.12
- BLOG
いつか滞在してみようと思いつつ、読んでみて、素晴らしいけど、まあ行かなくて良いかなって思ったw
創業者エイドリアン・ゼッカのことや影響を与えたとされるスリランカのバワのこと、そしてアマンが与えたさまざまな影響など、素晴らしく良くまとめられた良書。
それも著者の母の従兄弟が作家の曽野綾子で、その友達がゼッカの兄の奥さんだったとか。
興味深いのは、ゼッカが日本の旅館に影響を受けてアマンが生まれた、という噂があったようだけど、それはそうでもない代わりに、若い頃日本に住んでいて、よく訪れた三浦半島の別荘?での経験が大きな影響を与えたようで、まあやっぱり日本の影響というのはあったみたい。
でもバワもそうだけど、なんだかんだ言って、富裕な生まれをして、若い頃放蕩して贅沢して、そんな中で「現実」に追われることなく見つけた「理想」を実現して、やっぱりセンスは人並み外れていたからとしても、それが商売としてうまくいって、結果多くの施設を残してきた、という、僕ら庶民からは、いいなあ〜という人生。
まずは自分達のために、とても自然が素晴らしい場所を見つけて、住まいを建てて、友人や、そのうち有名人などが集まり始めて、仕方ないから別に建物を建てて貸し始めて、、というように、商売として始めたのではく、あくまで自らの理想を追求したところから始めたのが良かったんだろうし、だから新しいホテルの敷地を探しにゆくのも、本当に楽しんで、その土地の良さを嗅覚で感じるような、そしてそれがなかなか真似できることではなかったから、簡単に追従を許さなかったのでしょう。
と、確かにアマンはとても魅力的だけど、本書の最後の方に、俵屋の女将へのインタビューがあり、俵屋を海外に出してくれないかとゼッカに頼まれたことがあり、断った理由が「なぜなら寸法が違うからです。アメリカに俵屋を持っていったら、何か弱々しいものになってしまう。俵屋は京都であるから俵屋なんです。、、同じ日本であっても、京都は他の土地と比べて全部寸法が違うんです」と。ここには本当になるほど、と思ったし、新しくできる和風の高級旅館(日本のアマンも)が、どうも間抜けに見えてしまうのはそういうことか、と思った。
もう一人星野リゾートの星野さんは、アマンについて、「植民地的」と言い、「一見斬新に見えるアマンのホスピタリティだが、植民地アジアの支配者階級の生活の中には、当たり前にあった日常の一コマだったのではないか」と。つまり、、あちらのサービスはサーバントであり、上下関係に基づいたものだけど、日本の旅館の中居さんは、決してそんなものではないし、だから本質的な「もてなし」として似て非なるもの、とも言える。そんなこんなで、冒頭の、まあ行かなくても良いか、になりました。