ものぐさ精神分析/岸田秀
- 2025.05.05
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大学時代に読んで強く影響を受けた本を久々に。
当時、卒論のためにいろんな本を読みながら、人間っていろんな面で「変」だよなあ、何故だろう?みたいなことを結構考えていたので、本書は衝撃的だった。
「人間は本能が壊れたから止むを得ず文化を作ったのであって、動物より劣った存在である」なんて今や僕の思考回路の中心にある。
ご存知の通り、他の類人猿と比べて人間は幼児体型で、体毛が薄く、さらに自立できるまでに5年10年もかかるなんて、他の動物ではあり得ず、つまりその間は大人に育ててもらわざるを得ない。他の動物にはないその、自分では何もできない期間に「内面」が生まれ育つ。自分は自分、なんて人間以外にはない世界なのだ。内面ができれば外の世界が生じるのは当然で、本能によってしか反応しない動物には内面も外の世界も「ない」。ここは少し理解しにくいかもだけど、間違いのないこと。
タイトルでもある「精神分析」という言葉。まず精神って内面なんてものが生まれ、後悔や葛藤、劣等感、なんてものを感じるようになったから生まれたわけだし、分析も必要になったのだろう。そして人間たちの集団によって生まれた「国家」にも集団的な無意識や精神が当然ある、という。特に日本で言えば、長い鎖国時代が上記の幼児期に当たり、外から攻められることなく内面を大きくして、結果江戸時代などの日本特有の優れた文化も生まれたのだろうけど、大事に守られた「お坊ちゃん」みたいなもので、ガキ大将のようなペリーが現れて、本当はこうありたいという日本としての内面を押し殺して、アメリカという外力に無理に自分を合わせようとした結果、精神分裂的になり、アメリカに追い詰められた結果、ブチギレて敗戦へとまっしぐらに進んだ。それは日本という国の精神分析として理解できることだ、と。
そしてアメリカという国の内面とは、インディアンを駆逐してそれを正当化して成り立った事であるから、それを改められない限り、世界に「覇権」を求め続けている。そうですよね?
他にもかなり密度高くいろんな納得させられる主張がされていて、また一貫した強さがあるけど、おそらく「学会」では異端のままだろう。それについては「擬人論の復権」で書かれているけど、ダーウィン進化論では説明しきれない不思議な進化がたくさんあるにも関わらず、合理的に説明することに執着するから、突然変異が続けばいつかその進化が成し遂げられる、と学者たちは主張し続けるけど、僕も好きな今西錦司さんが主張したように、生命体も種の集団としてある種の「意志」を持って環境の中で進む方向を決めてきたからこそそんな進化をしたのだ、という擬人化した考え方を導入するしかないと思うし、岸田さんの主張も基本はそこにある。だから学会では異端だろう。
とても書き切れる内容ではないので、興味があれば是非。
40年以上前の本だけど本質は何も変わっていないと思う。けど、僕なりにちょっと書き加えたいことを。
以前書いたか、橘玲さんが、遺伝子的に人間に最も近いのはボノボで、ボノボは乱婚つまり父親が誰かわからないから、集団で子供を育てるらしく、人間も本来そうではなかったのか?と。また人間=ホモサピエンスが滅ぼしたと言われるネアンデルタール人は人間より脳や体も大きく、単体同士なら人間は勝てなかったけど、人間の方が大きな集団を作ることができたために優位に立てた、らしい。また最初に書いたように人間の子供を育てるのはとても大変なので大きな集団も必要だったのだろう。
きっと誰かそんな仮説は立てているんだろうけど、僕の仮説として、乱婚による集団子育てと人間の胎児化により集団内の技術や文化の蓄積ができるようになったこと。それが同時に進むことによって、本能が壊れたというか必要無くなったのではないか?
乱婚なんて言葉さえ道徳的に憚られる?から言いたくても言えないのかもしれないけどそれが本当は人間を人間たらしめた本性であり、それを道徳などで押さえつけて一夫一妻というルールを建前にしているけど、結局みんな隠れて浮気してるだけじゃんみたいなw。いや笑い事でなく真剣に、だからこそ両親だけとかそれこそ母親一人で子供を育てる、なんて無理に決まってる!という同意をみんなですることだけが、少子化を止めてくれるのかも?