なめらかな社会とその敵/鈴木健

  • 2026.05.22
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しばらく前オードリー・タン関係読んでいて初めて知った。
Plurality=社会的差異を超えたコラボレーションのための技術。だったが、根っこの問題意識は同じ。でもこちらの方が理論としてはずっと深いと思う。
本書に通底していて、なるほどと思わされた事。単細胞生物には「核-制御部」と「膜-それが及ぶ範囲」があるが、僕ら含めた多細胞生物、社会の大小の組織、そして国家にも同質の核と膜がある。そしてそれぞれを取り囲む複雑な反応ネットワークとしての「網」があることも上記それぞれのレベルで同じである。言い方を変えると僕ら人間は「自分」という固体性に囚われすぎているけど細胞の集団でしかない、とも、国家の一細胞でしかない、とも言える。アリやミツバチの個体を考えれば「自分」なんてどうでも良いのだ。そして個人、といっても自分の中にもさまざまな価値観や感性が入り乱れていて統一されたものではないというのは理解できると思うけどそれを「分人」という。個人=Individual=これ以上分割できないもの。分人=Dividual=分割できるもの。家族に対して、社会に対して、みんないろんな顔を使い分けているのだから、「個人」が確実な単位であると考えることもおかしなことなのだ。
この辺りの考え方は生物進化や仏教などで僕が書いてきていることとも重なっている。

そして「国家」は他国に滅ぼされないように強大になりすぎたとも言える。個人と国家の間にも家族や地域社会や、趣味社会や、さまざまな集まりの単位があり、国家が必ずしも集団上の唯一の単位でもない。にもかかわらず法律や選挙制度など、その国家という前提に設計されてきたことによって多くの問題が起こっている。
でもそれは、世界というのはあまりに複雑な「網」であり個人が情報処理できるレベルではなかったための単純化としての個人ー国家だったのに対し、今や技術がその情報処理をカバーできるようになってきた。
ということで著者は、貨幣/投票/法/軍事において、その単純化によって「なめらかさ」を欠いてしまっている現状に対し、新たなシステムを提案し、本書にはかなり専門的論理なども書いてあるけど難解なのでそこは飛ばしたw
でも雑にいうと、お金や一票の価値って固定的なのはおかしくて、それを使う、投票する個人によってもっと流動的に影響し合うようなシステムを構築すればより生きたお金、投票(つまり政治体制)になるだろうということ。

しばらく前にclaudeと話していて今までの社会はツリー構造。つまり根っこから分岐して末端に至る。国家が上から個人を統制する。会社も学校も、そして僕らの思考回路も。対するものとしてセミラティス構造。クリストファー・アレグザンダーが言っていた、網の目が多層に絡み合うような構造に変わりつつあるし、変わるべきだと思っているんだけど、本書も同じ文脈かな。
今、AIにとんでもないお金が流れ込んでいるのはご存知の通りだけど、それは新たなインフラを作っているってことで、でも違和感があるのはそれをビジネスに生かすことばかり話題になっているような。浅薄な。じゃなくて、こういう社会システムの構築に活かすことで、複雑な世の中を複雑なまま受け止め、生き生きとした社会を生み出すことができる、というのがあるべき姿だと思う。
タイトルにある「敵」は何か?物事を単純化して「敵ー味方」に分けてしまうような僕ら個人の考え方や社会/国家システムなのだと思う。そこを乗り越えるためにまず自分が「個人」であると考えず「分人」という分裂した存在でしかない、という自覚から、これからの技術を使って組み立て直すべきだ、ということなんだと思う。

でも、そのAI技術も所詮、資本主義の産物であり、ツリー構造で世界を支配しようとする欲からは逃れられない。けど、上記のような問題意識をしっかり持って上手に使うことができれば、大きな力になる。
幹のちょっと太いところを目指したところで、先を見てみれば巨大な幹が続いていて、そこは枝の先でしかなかった。みたいな生き方より、網目の中を自由に泳ぎ回るような生き方の方が、本来ずっと人間らしいと思う。
難しく考えれば難解すぎる話だけど、単純にいうと、大きな力を信用しない。お金に執着しない、も大事かな、と書いたら、著者も書いてたけどやっぱり仏教(の本来の姿)でしかないじゃん、となっちゃう。
またそういう壁や分断を産んでしまっているのは人間自身なのだからAIは技術的な助けにはなれど、僕らが溶かしてゆくしかない。つまり人間が人間らしく存在してゆくことは人間にしかできない、という意味不明な事である。