それでも日本人は「戦争」を選んだ
- 2016.11.26
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少し前の憲法の本と同じく読んでみた本ですが、「小林秀雄賞」をとっていた事が後押ししてくれましたが、「歴史」「戦争」についてきちんとしたスタンスで描かれていて、とても良い本だと思います。
歴史を知る意義について、あとがきで「私たちは、現在の社会状況に対して判断を下すとき、あるいは未来を予想するとき、無意識に過去の事例を思い出し、それとの対比を行っています。その際、そこで想起され対比される歴史的な事例をどれだけ豊かに頭の中に蓄積できているか、これが決定的に重要です」と言っていますし、本当にそうだと思いますし、人間を含めた動物が子供のうちにじゃれあったり、遊んだりするのは大人になって強く生きてゆくための訓練なんだと思うのですが、それと同じ構造で、知的に強く生き延びるために他人の経験も含め、自らの身体経験の一部とすることができる、というのが人間と歴史の素晴らしい関係なのだと思いますが、実際世の中に出回っている「歴史」は著者も書いているように、刺激的で分かり易いかもしれないけれど、適切な問いが立てられておらず、偏った解釈である事が多く、読むのは無駄だということです。逆にいうと、歴史解釈はそんな単純なものではないので、一刀両断に分かり易い結論が導かれる訳でなく、よって、本書も時間的にも地理的にも広い視野で、開戦に至った状況を記しつつ、的確な分析を与えていますが、結論が書かれてはいません。つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」的に、様々な事が影響しあって1つの結果が生まれるわけです。
でも、その理由の1つは(本書で書かれているわけでなく、多くの書が語って来たように)日本人は、合理的思想の西欧から急いで学んだけれども、結局合理的に思考する体質ではなかったために、結局軍の暴走を止められなかったということと、本書を読んで思ったのは、いじられっ子が最後にいじめっ子に刃物を振り回すのも、いじめる側がやって来た事の蓄積が爆発しただけ、という意味で、先行していた西欧の帝国主義、植民地政策に対し、そこにのみ込まれなかったとは言え、当初不平等条約を飲まされたり、やはり後発の帝国主義?国としてのビハインドがあった事の反動が日本を追い込んだ面はあったと思いますし、つまりはみんなで起こした戦争でもあるのだと思います。でも多くの人間を犠牲にした戦争の反省はもっとすべきで、本書にもありますが、多くの日本人が、戦争責任の問題の議論がまだまだ足りないと考えているように、やっぱりきちんとあの戦争とは一体なんだったかを各自がもっと知るところから始めなければいけないんだと思います。
などと考えながら、自らの設計をいかに進めて来たかを考えた時、自分の今までの経験の中で、これはなんか好きじゃないな、と思うものをとりあえず遠ざける事を繰り返す事で設計をしてきた、つまり消去法でダメと思う事を排除してきたと思っていまして、それって歴史から学んで進んでゆく事と重なるのかなと思いました。でも戦争をしてしまった事の何がダメだったのかを言えない日本は、やっぱり何も学べていないし、同じ失敗を繰り返すかもしれない、ということでしょうし、もっと真剣に考えないとマズいですよね。