きれい寂び/村野藤吾和風建築集
- 2024.11.13
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井上靖が村野を評して「きれい寂び」という序文を書いていると何かで読み古書にて。
きれい寂び、とは茶の世界の言葉で「華やかなうちにも寂びのある風情」として小堀遠州の好みを示したりするらしい。
ただ井上自身、その言葉を知っていても実態を掴めないままだったのだが、村野と会って、その身に着けているものに感じたそう。
村野は茶道具について「道具というのは、氏より素性ですね」つまり生まれより育ち、というように語ったという。
つまり大勢の人たちから大切にされ尊ばれることによって気品と光沢と余韻を持ち、天下の名品たる資格を身につける、と。
建築家村野は、「自分が生み出したものがそのまま完成したものであることなどとは思っていない。ただどのようにでも美しく大きく育ってゆく素性のあるものを、丹精込めて造っただけである」と評する。
利休が茶の湯の奥義として伝えたらしいこととして、「侘数寄、常住に候、茶の湯、肝要に候」という、ただ四六時中大切に心しておけ、みたいなある意味当たり前の事を書いたらしい。そして井上は建築家としての村野にも同じものを感じたという。そして「侘数寄」、とは「枯れかじけて寒い心、つまり浮ついたところの少しもない醒めた心である」と。
以上、さすが一流の文学者、と感じ入るところだけど、「きれい=華やか」の部分がどこから生まれてきているのか?については僕の読みが浅いのか、感じられなかった。
そして僕が思うのは、日本の古建築にしても利休好みにしても、素晴らしいし好きだけど、渋すぎる、というか、上記の繰り返しで言えば「大勢の人たちから大切にされ、、」というために「華やかさ」を併せ持つ必要があった、と遠州も、村野も考えたのではないか
今作られる建築たちをみていると、重たくて陰鬱だな〜と思うものと、頼りなくて軽薄だなあ〜と感じる両極端があり後者が数的には圧倒的に多く、前者の方がずっと良いとは思うのだけど、村野の目指した?きれい寂び、つまり頼り甲斐と楽しい心を併せ持ったような建築こそ愛され残ってゆくし、実際モダニズム建築がどんどん壊されたり無理やり価値を見出して残されたりしている中で、村野作品は当たり前のように愛され続けている。
村野は90過ぎの人生最後まで素晴らしい建築を作り続けたが、それはとても難しいこと。でも人生まだまだ長いから頑張ろうと思わせてくれる。