「カッコいい」とは何か/平野啓一郎
- 2025.02.20
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とある方が推薦していたので読んでみたけど、著者も書いているようにタイトルからは軽い内容だと感じられやすいけど、実はとても深い。
著者は小説家で読んだことはないけど、哲学的?な本も書いてきているようで、特に本書はずっと書きたかったそう。
哲学書でもそうだけど、ある「概念」をきちんと定義しようとすると、多面的に、重箱の隅をつつくような面も必要なのか、本書も結果回りくどいところもある。
雑にまとめさせて頂くと。
人間が人間となってからずっと、個人が個人として自由な価値判断などできるわけがなかったしその必要もなかった。
長い時間の流れの中で地域によってある固定的な価値観や宗教観ができてきて、中世以降は権力者がある程度自由に振る舞ったりもしたけど、個人レベルなどでは決してなく、むしろ今でいう「個人」なんて意識もなかった。そして血縁や制度、身分など様々な鎖でがんじがらめのような生き方を自然と受け入れていたけれど、近代以降それらの「鎖」が外れて、あなたは個人として好きに生きていきなさい。という時代になった。
そして芸術家、音楽家、建築家など、表現する側もその中で、今までの権威的な、形式的な表現をぶち破って新しい表現を始める。ピカソや、ジャズやロック、建築のモダニズムというのも、著者がそう書いていてなるほどと思ったけど、それと同じ背景から生まれたのだ。
つまり個々人が「すげーっ」と体が震えるようなもの。今までの教科書に載っていたものではなくそれをぶち壊す存在。それを「カッコいい」と感じる個人がいて、それを産む表現者、双方がいなければ時代は変わらないのだから、個人が自由にして良い社会においては「カッコいい」は必要不可欠な感性だったのだ。
と、結構勝手なまとめなので著者が読んだらどう思うか知らないけど、建築を作る人間として色々合点が行くことが多かった。
次にもう少し個人的な話としての「カッコいい」という面では、職業や生き方も自由、と言えば聞こえが良いけど、逆い言うと自分で「選ぶ義務」が生じていて、それって負担に思っている人の方が多いんじゃないかと思う。子供になりたい職業を聞けば、その時の知識や経験で答えるんだろうけど、実際自分がその選ぶ立場になったら、そんなの決められないとなる。
だからその時「カッコいい」つまり「憧れ」が不可欠なのだ。
そんな憧れられる、カッコいい大人に、ならなければならないし、それを感じられる「感性」を子供達から奪わないような社会を作らなけれいけないと思うけど、起業して大金持ちな有名人はカッコ良いのか???負け惜しみですねw