世阿弥/山﨑正和

  • 2025.01.26
  • BLOG


利休、芭蕉とよく触れてきたけれど、世阿弥というのは明治まで「秘書」として一般の目に触れて来なかったので評価が遅れただけで、比肩し、もっと評価されるべきだ、とどこかで読んで買ってみた。風姿花伝は薄いし読んでいたけど、それでは全然分からなかった世阿弥や能というものの凄さを知ることができてさすが名著。

「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす」では意味不明だけど現代語訳なら
「家と言っても血統や家柄ではない。芸道の正しい伝承がなされることが家なのである。単に専門の家に生まれたというだけでは、後継者ではありえない。芸道を知るということが真の後継者の資格であるのだ」
ここに世阿弥を知る一番大切なところがあると思う。
父である観阿弥はとても高いレベルで能を大成し、時の権力者、足利義満に世阿弥も寵愛されるに至ったことがのちを運命付けたようだけど、そもそも能は芸能として低いレベルの人間がやるものだと蔑まれていたような時代だったようで、、その中で観阿弥から受け継いだものをいかに次に伝えるか、必死で考え、後継者に伝えようとした。
「秘すれば花」という有名な文句は、義満のような高貴な人間から、庶民に対しても、能というものをいかに魅力的にするか?を考えたときに、「手の内」を読まれていてはいけないし、一流のものを伝え守ってゆくためにも一子相伝(実子でなくても)するのに「秘する」必要はあったのだろう。でも「花」というのは現代的に解釈すると派手で分かりやすいように読めてしまうかもしれないけど、決してそうではない。例えばお笑い芸人を私たちが見るときには「何か面白いこと」を期待してしまう。でも世阿弥が意味する花、とは単純に分かりやすいものではなく、稽古や努力の先に滲み出てくるような、そんなものらしい。詳しくないけど歌舞伎はそんな分かり易さを提供するから現代でも人気で、能というのはよく分からない、となってしまうのだろう。

「能面」ってなぜつけるのか?
実物を見れば分かるけどあれをつけたら周りがほとんど見えない。だからこそ演者は役に没入し、あの「小手先」でないような舞や、観客も僅かな動きや表現が奥深いものと感じられる、らしい。つまり、能面、というものを発明したことによって能が能になり得た、と言えないこともないようだ。

風姿花伝はまだ演者としてイケイケ?の若い頃に書いたらしく、花鏡以降は50歳とかになって、自らの衰えに危機を感じたのもあり、さらに深く稽古方法などを追求して分かりやすくまとめていて、建築の世界だって同じく相手がいて表現をする世界で稽古(修行)が必要という意味では同じなので、興味深いところが多々あった。というよりも普段僕の読書はなんだかんだ言っても、最後は自分の建築をどう作ってゆくかを考えるためにしているところが大きく、その意味では、芭蕉も大きかったけど、もっと大きいものを感じたりもした。
具体的に言えば、それは冒頭に引いた、「継ぐ」ということ。つまり継いでもらえるように考え方をまとめることができるということ。
建築設計って現代以降は「一発芸」的に目新しいものを作って、でも決してそれは「秘伝」にはなりえず、若い頃が一発芸に向いていて歳をとるとつまらない芸人になる、というところがあって、それがとても嫌だと思っていたので、目が覚める感じもあったかな。

先日書いたように独立して25年も経つけど、まだ25年くらいはやりたい。でもいつかは僕の作ってきた建築のあり方に共感してくれる後継者を持てれば、全力で伝えて、引退してもつまらないけど、ある程度任せて海にでも行って遊んでられるのも良いかもな、なんて思うこの頃。

その前に秘伝になるような僕なりの建築論をまとめないといけないけど、頭の中ではそれなりに形にはなりつつあるので、こうやって読書もしながら形にしてゆこうと思う。
世阿弥もそんなこと書いているけど、表面だけ真似てもダメなので、僕が作ってきたものを表面上似せても全くダメで、それは皮だけというか、骨や肉という皮で隠された部分からしっかり理解して作らないといけないのだ。

引き続き、山崎さんが書かれた戯曲で当時劇場で演じられたそう。
先の本にも書かれていた、世阿弥という人間が置かれた環境や苦悩、そして能というものがどのように形作られたのか?とても上手く描かれている。
利休や芭蕉という人を理解するにも、やはり時代背景や環境、人となりを知ることでより深く知れたように、ちょっとだけ世阿弥や能というものを身近に感じることができた。