日本の国という水槽の水の入れ替え方

  • 2017.10.30
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またすごいタイトルだけど、内容はそれに劣らずすごい。40〜50年前、僕がうまれたころ、岡さんは70近い頃書かれたものたちだけど、大数学者が生涯をかけて、愛する日本が間違った方向に向かっている事に警鐘を鳴らし続けた。僕も自分なりに建築という仕事を追求して、この歳になり、今だから本当にスーッと内容が染みてくるのだから、僕も少しは成長したということか。

まずはこれは選民思想に違いないと思うけど、日本民族の起源は30万年前で、その頃は地球も暑く日本民族はチベット高原に住んでいて、それが「高天原」であり涼しくなると黄河上流に下りて「天孫降臨」であり、しばらく稲作をしていて、1万年ちょっと前に日本列島にたどり着いた、天つ神々に選ばれた、唯一、本当の心「真情」をもつ民族であり、古事記に記されている通りなのだ、と。興味のない方には全くナンセンスな話にしか聞こえないと思うけど、キリスト教にしたってナンセンスな選民思想のでっち上げだ、といえば似たようなものだけど、こちらは、仏教と同じで、決して人殺しに使われず、世界を平和にする思想なのだから大違いでもある。

その物語を信じるかどうかは置いておいても、本書でもずいぶん取り上げられている、芭蕉の句が持つ「調べ」つまり「情緒の流れ」は、真情を持ってして可能なことだ、というか、日本人独自に持っていた感受性、というのは世界の認めるところだけれども、それがなぜできたのか?と問われれば、自然と共にあり、自然をそのままに感じることができる(た?)のが日本人であり、西洋人が作った「科学」なんてのは、本書にもあるけど、自然を簡単なモデル化して、その中でだけ成り立つ世界でしかないし、でもそこには大きな力があって今の世界を支配してしまっているけれど、だからこそ、自然をそのままに感じるという日本人の力も奪われかけてしまっているのである。でも以前から思っていたし本書にもあったけど、日本の自然の美しさ、繊細さは、冷静に比べても特別だと思いませんか?やっぱりこういう心は砂漠では育ち得ないのだと思いますし、ずいぶん欧米の毒にやられてしまっていても、自然の多くはそのまま美しく残っているし、芭蕉の句にも簡単に触れられますし、岡さんもずいぶんがっかりしながらも日本民族が世界を救うのだ、というくらいの気持ちでいらっしゃったようです。

で、どうやって水槽の水を入れ替えるのか??「社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、全ての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。これをしなければ民主主義とはいえない。しかるに自由民主党はこれをせず、社会党は逆に労働者階級というものを固執して、日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている」として「新社会党」の必要性を訴えていますが、その当時の政治状況がわからないとこれも???でしょうけど、僕も、労働者階級の霧消によって全ての国民に生きがいを、という部分には全面的に賛成です。でも本書でもソニーの工場で若い女性が生き生きとと働き、人間的にも成長している姿を褒め称えていましたが、それは決して労働者階級には属さない、という事でしょう。要点は「生きがい」だと思うけれど、アベノミクスは間違いなく労働者階級を増やす方向に向かっているので、その点については強く意義を唱えたい。

また「教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えること」つまり煩悩(無明)にとらわれない事と、祭政一致の政治(天つ神々が人間たちを治める政治)が必要だ、というのは今からだとかなり困難だろうし、欧米に習ってきた我々には理解しにくいだろうけど、僕はその必要性にも全く同意する。しばらく前に書いた「中動態」などの問題意識も同じですが、素晴らしい寺社や、仏像や、おそらくピラミッドも、自我がある、神のいない世界(今ですね)では生み出すことはできず、それが意味するのは、当時の人々は、もちろん物質的でなく精神的次元においては、今の僕らよりずっと幸せ(という言葉もズレてるが)だったと信じるのだ。

そしてそれは僕の建築設計に対する姿勢にも反映されているつもりで、神々、というと大げさに聞こえるけど、昔は八百万の神で、至る所に神がいたのだから、そんな意味で、自我を捨てて、心を少しでも澄ませて、日々人が暮らし、人の暮らす背景となる建築が、どのようにあるべきか、から考えるように努めているつもり、、でももちろん煩悩も消えてくれないので苦しみますが^^; でも近々ちょっと良いお知らせがあります^^