まちづくりの哲学

  • 2016.09.26
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随分前には「まちづくり」に期待もしてましたが最近は興味も失いかけていますが、宮台さんに期待して飛びつきました。

「代官山ステキなまちづくり協議会」の方が企画をし、この司会もしているのですが、宮台さんにお世話になっているらしく生まれた企画のようですが、まえがきで「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」という疑問について都市計画やまちづくりの専門家がだれも答えていないと感じたと言い、でも唯一の望みとして蓑原さんを呼んだそうですが、確かに蓑原さんは元官僚ですが、とても官僚的ではない方ですね。また確かにその3つの疑問、そんな素朴な疑問に確かに誰も(というか専門家であればあるほど?)答えてくれないように思いますが、それは多分「建築」や「文学」や「音楽」と置き換えても同じなのかもしれませんし、つまり「量」でなく「質」に関わる文化の問題だから、今の日本はダメ不得意ですよね。

宮台さんは社会学者だそうですが、援助交際を始め、社会(つまり人間に関する全て?)を縦横に思考し、「学者っぽい」とは正反対な感じの方ですが、本書は「まち」に関わる議論でもあり、それは結局個々人の生まれ育った環境と密接に関連する事なので、蓑原さんも合わせ、出自を随分語っていますが、宮台さんは何でもできるマセたガキだったようで、育った学校や環境も特殊で、いろんなものに影響を受け続けて育たれたからこうなったんだ、と理解もできましたし、やっぱり宮台さんの言う事は良いなあ〜とは思いますが、縦横無尽すぎて簡単にまとめたりはできません^^;

上の3つの疑問に対し、なぜそれが出来なくなったのか?と整理した方が分かり易いと思いますが、近代以前の世界は、恐ろしいもの、理解できないもの、逆らってはいけないもの、など沢山あってお祭りなど「ハレ」と淡々とした日常の「ケ」という空間や時間の中での密度の違いの中で育つ事で持つ事ができた「感情」というものが、今の、空間も時間も「フラット化」してしまった中でその感情が劣化してしまったし、社会システムもさらにその感情を育てないような仕組みに変わってしまった。例えば「安全安心」なんて標語で川にも海にも近づけなくしたり少ない街路樹でさえ丸ボウズに平気でしたりする。また、その「感情」が劣化していない人たちもいるし、彼らは「<世界>が奏でる調べ」を聞く事ができるし、<社会>に閉ざされる事はないんだけど、少数派だし、いわゆる「アート」系に閉じ込められてしまい、社会システムに対しての力は持ち得ない。

感情、だと分かりにくい?他の引用を。「何かを畏怖する営みは尊厳(入替不可能な自己価値)と深く結びついています。だから<畏怖する力>が乏しい人は、他者の尊厳を尊重する力が弱く、場所の場所性に反応する力も弱い。当然、彼らは人生の豊かさからも見放されてしまいます。」と。オウムや酒鬼薔薇事件を思い出せば十分でしょう。

また「どうすれば?」に対しては、今私たちは「日本人だ」というだけで、知りもしない大勢の人々(日本人)を守ったりしないといけないと思わされて?居ますが、本来は動物的に考えても家族や仲間などの、「顔が見える共同体」の範囲でなければ何かを大切に、とか心から思えないはずなので、その規模からはじめるしなかく、また、(これは以前も何度か触れたと思いますが)「ミドルマン」つまり一流の学者など高いレベルで理解している人間と、一般の人は直接話しても伝わらないのでその媒介をして理解できるように伝えられる人間が必要だと。本当にそう思うし、僕は建築のミドルマンでいたいと思ってます。

また、森林を守り育てるには数十年単位のスパンで考えても成立しないように、まちも同じく、「使用価値」でなく「存在価値」という観点で取組まなければ、と蓑原さんの言葉ですし本当にそうだと思いますが、今の政治の近視眼さを見ても、私たち国民の感性から変えてゆかないと、長い道のりですね。。

それ以外も濃密な宮台ワールドが展開しますし、まちづくりと関係あるの?と感じる部分もあっても、でも全てはやっぱり関係しているのだと思いますし、「風が吹けば桶屋が儲かる」という複雑な因果関係で世界は回っているに決まっているのに、それを縦割りに分かり易く考えることで技術や経済は大きくなって来ても、反面で「感情」を失いかけている、ということなんだと思います。

最後に、ここは全く僕の言葉ですが、人間だけが時間、<過去ー現在ー未来>の中に生きていてい、つまり歴史を持ち、未来/夢を持つ。だからせっかく人間に生まれたんだから、少しでも良い夢/未来を実現するために、少しでも歴史を学び、反省する事を続けてゆかなければ、未来はどんどん悪くなるのが必然なんだと思います。でも新国立も、豊洲の問題をみても、より良い未来も描いてないし、全く反省もしていない。これじゃダメですよね。

結論。まちづくりに単純な処方箋なんてない!ですね。でも大きな共同体(国や市)には単純化しかできないから、近い世界で、顔の見える範囲で、気持を込めて、小さな取組みから始めるしかないんだと思います。