鳥もすごい

  • 2010.07.21
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人間という動物がどこからどのように来たのか?歴史がそうであるように、解明なんてできないけれど、より精度の高い理解はできるようになるだろうし、そこにはロマンというものがあるから、学者さんたちも人生をかけるんでしょうね。もちろん僕も嫌いじゃないからこんな雑誌を手にするわけですが。
でも僕はこの手の学者になれば良かったとは思いません。というのは、人間に関する事であるようであって、でも実は既に過ぎ去った事実という、外部の探求であるように感じてしまうからで、それは数学や物理学にも言えるかもしれません。それらは様々な科学技術や歴史などの学問の発展には資するんだけど、どうにも僕には、それが私たち生身の人間のためなのかどうかが理解しきれないような。
じゃあ何が生身の人間のための学問なのかといえば、それはやはり思想であり、私たち個々人レベルで、何を考えいかに生きるべきかの指針を与え得る、という違いがあると感じています。
と、取り上げておきながらろくに触れずかよ、って感じですが、主題とは違う記事で、「ニワシドリ」という鳥が、求愛行動の中で、ただ大きいとかでなくて、ある種芸術的な巣。独創的で主観的な「美」というものが表現されたような巣をつくって雌に求愛するそうで、ちょっと驚き興味をもちました。
人間という存在のみ、生まれた時から多様な環境に触れ続け、それによって、主観や個性みたいなものが生まれ得るんだと思うのですが、別にこのニワシドリがそんな風に生まれる訳ではなさそうです。でも何故??不思議です。
でも生命なんて恐ろしく不思議で、ウナギが恐ろしく遠い海溝に帰って産卵するなんてのも、簡単に本能だなんて片付けられないレベルの話ですよね。
そしてそれは学問ではとても及ばない次元なんだと思うから、逆にいわゆる学問が軽いものだと感じてしまうのかもしれません。
そっか、鳥のくせに巣の美しさで求愛するんだ〜。見習わなきゃ(笑)