風土

  • 2013.02.17
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お恥ずかしながらこの歳になってやっと読めそうな、読みたい気持ちで買っておいたのを、とあるコンセプトを考える為に役立てたくて先日の大分行きで読んできました。
もう70年程も前に書かれたのにさすが名著ですね。時代を超えた本質に触れていると思います。
和辻が風土性の問題を考え始めたのはハイデガーの「存在と時間(当時は、有と時間と訳されていたらしい)」けれどハイデガーが人間存在の構造を時間性で捉えたのに対し和辻は空間性こそ大切と考え、人間と風土を「対象と対象との間の関係を考察する」のでは決して無く「主体的な人間存在の表現」として捉えるのだと、序で強く断っているけれど、ハイデガーの「世界ー内ー存在」つまり人間は、既に常に、世界の中に投げ入れられているのだ、という捉え方と本質的には同じかなと思います。
「肉体が単なる『物体』と見られたように、単なる自然環境として客観的にのみ見られるに至った。そこで肉体の主体性が恢復されるべきであるのと同じ意味で風土の主体性が恢復されなくてはならぬ」というのも上記の捉え方の延長ですし、僕も多少ハイデガーなどをかじった身としてはそこにはとても共感を覚えましたし、現代の方がさらにその「恢復」が必要度を増していると思うのですが、だいたい「恢復」なんて言葉は死語に近いのか??未来を目新しいものにする事しか考えられない時代になってしまったように感じるのがとても悲しく思います。
3つの気候の類型と人間の気質の関係が書かれていて、ある程度皆さんも耳にされた事はあると思いますが、まず「モンスーン」は「湿潤」であり無限の恵みを与えるのと同時に自然の暴威でもあるので、人々は「受容的、受忍的」になる。
次に「沙漠」ですが砂漠だけでなく岩だらけの所なども含み、つまりは「乾燥」であり「人は生きるためには他の人間の脅威とも戦わねばならぬ」し自然にも対抗し、征服しなければならないので、ピラミッドを作ったのも自然の征服という意味でこそ可能だったし「人格神」を生み出したのは砂漠的人間の最大の功績だろうと。
最後に「牧場」ですが日本人にはその正確な概念が分からないだろうと説明があるのですが、つまりヨーロッパの夏は乾燥しておりほとんど雑草が生えず放っておけば牧草が生えてくれるし気候も従順で農作物もほとんど手間がかからず収穫できてしまうし台風のような自然の暴威もないと。そして暴風が少ないと樹木がまっすぐ育つように「自然は合理的な姿に己を現して来る」から自然は支配できる対象でありその象徴がギリシア的なものだと。
結果ヨーロッパでは「自然」とは「神が造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現れたもの」と考えられる程度だけど、東洋では自然は「決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた」ので、ヨーロッパでは目に見えるものこそが大切で、東洋では感じられるものこそが大切、という大きな違いが出て来たのでしょう。
他にも引用したい所だらけですがキリが無いですからw
まあこの解釈たちが全て正しい訳ではないにせよ、いやー勉強になりました。