震災と原発

  • 2012.03.09
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まもなく1年ですね。本当は現地で肌身で感じておくべきことかとも思いつつ。。
原発の原理とかそれほど知らなかったのでこれ以外にも調べたりしてみて、感情的には、こんな悪魔のようなものはやっぱり存在するべきではなかったのだと改めて思いつつ、でもそれを言い出せば道路と自動車、という便利だけど必ずしも無くてもあり得たものが、毎日多くの人命を奪っているから、即刻無くすべきだ、という話と程度の違い以外に何かあるのか?という風にも悩ましく思います。
結局経済行為なので安全性をどこかまでで妥協せざるを得ないのは自然な事としても、チェルノブイリのその後やフクシマも今後そうなるだろうけど、そのリスクも含めて冷静に経済性を考えれば決して優位性があるとは思えません(人命にをお金に換算しないと比較できませんが)。例の地球温暖化、という理由の元に(特に日本は)世界としては止められないのかもしれませんが、こんな事になって何がエコだ?とも言えますね。放射能は今後何万年単位で消えないらしいという事を人ごとだと思っているのかもしれません。
深くキリの無い話ですが、その2年前の経産省の審議会で「貞観の地震(869年の今回程度の大津波があった)」があった事が周知だったにも関わらず何も触れられていないという発言が放置された件と、地震の死者数は刻一刻と発表されるのに被爆者の死者(恐らくもうかなりいるのでは)が一切発表されないのは何故だろう?という事について考えました。
原子力ってもともと軍事であって、つまり国の管理下で生まれ育ったわけで、もちろん法律によって規制されていて、想像に難くないですが閉じた世界でしょうから馴れ合いにもなるでしょう。また国策でもあり、とても特殊で不確実性の高い科学技術ということもあり、健全な議論を阻んできたようです。戦中の日本と変わりませんよね。戦争も一度懲りたからって、他国が悲惨な目にあったからってそれを理由にやらなかったりしなかったように。
原発は即刻全て廃止せよ!という声に、極端だなあ、と感じていたくらいでしたが、原発を1基廃炉するのに百億単位のお金がかかるのを知り、また40年の寿命も延期もできるとすると、何かのきっかっけでやめてしまわないといつか同じ轍を踏むのは間違いなんだろうな、、なんて思いました。僕は本来はこういう専門的な事はその道の専門家があるべき判断をすれば良いと思っていますが、経緯を見る限りそれは不可能なようですから、国民として発言をしなければならないのでは、とも。