集落の教え100
原さんの「集落への旅」という本は読んでいたのですが、これは出版十数年経って読みました。まあ流行の建築論ではないからきっとこの先いつ読んでも変わらない価値があるような本です。
世界の様々な集落調査から学んだ事を記した本ですが、集落というものには、永い時間をかけてそこに住む人びとが集団的な無意識としてつくりあげて来た何ものかが存在します。
それは近代現代的に考える合理的なものでは決してなくても、そこに住む人びとに必要不可欠な何かが隠れているようです。
社会人類学者のレヴィ=ストロースが未開の民族の中に見つけた、近代合理社会に決して劣る事のない成熟した文化が、自分たちが世界の中心だと思っていた西欧文化を揺さぶったように、集落から学ぶ事というのは、近代建築というものを揺さぶりもしました。
ただもちろん、そんな集落のエッセンスというのは日本の中にも存在し、今は消えつつあっても、様々な形で垣間みる事はできます。
神聖に思う事、理屈ではなく良いと思えるもの、不思議に何か訴えかけてくるもの。。そんな感性は昔に比べると随分すり減ってしまったようですが、とても大切なんだと思います。
この本は多分持っていて損はないですよ。
買って損したなら僕が買い上げます(笑)
世界遺産にするのは良いけれど、その価値も分からん観光客で埋め尽くされてしまい、いつの間にかその価値を減じてしまうのを見ると、世界遺産なんて逆に本質としての遺産を破壊しているんじゃなかろうかと思ったりもします。
SECRET: 0
PASS:
またありがとうございます。疲れて酔ってかくブログですが、たまに厳しい論点を突きつけて頂くとこちらも身が引き締まり嬉しく思います。
まずは文化か環境的価値か?ですね。とは言っても「文化」「環境」の定義が共有されない以上僕のお答えは僕中心になってしまいますね。またアベレージの「余裕」というニュアンスは僕にはちょっと分かりにくいです。貨幣的なものであれば糞食らえと思っている部分があるので、結局、時代が経つに従って人間の価値観が発達して、今の文化観、環境観が過去より優れていいるという視点であるのであれば、僕が書いた事はアホらしい事だとおもいます。僕は逆に貨幣に汚染された結果、文化も環境にも、価値を感じられない人間が増えてしまったのではないかと思っているだけです。
SECRET: 0
PASS:
次のですが、前も書いたと思いますが、というか弁解に過ぎませんが、僕のブロクなんていうとても選択性の高い環境なので、ついつい自分なりの、伝わりにくくても多分少数でも何かを感じてくれるのではないかという甘えの中で書いているのは事実です。でもそれは決して「自ら勝ち取る」事を否定したい訳でなく、逆に僕の思う事を正直に連ねる事で少しでも自分で何かを考えて感じて欲しいと思っているだけです。
「ほんとうの聖性というのは、田畑でクワを握る人間や、下世話な家庭の家族の笑いの中にも深く根付いていると思いますが」というのは全く同意しますが、僕の書いている事はなんだか違うように聞こえるようですね。だとすれば僕の書き方が悪いんでしょう。
問題提起をしようと思ってもなかなか本意が伝わらないようです。そんなことは最近の民主党をみていても感じます。でも小沢さんが引きずり下ろされたって、まああのある種の問題提起によって、少しでも考える人間が増えたという事は、大きな価値を持っていると感じる僕であったりします。
SECRET: 0
PASS:
こちらこそ、ご意見頂けるだけで嬉しいです。しかし言葉というより、文章というのは難しいですね。夜遅く眠たい頭で書いていると、あとで自分で読み直してもちょいと自己中な感じで(より)押し付けがましかったりと反省です。
嫌われる事を恐れずに問題提起をすること、それはとても大切だとは思っています。ですから僕を嫌いな方も結構沢山います(笑)
また是非ご意見ください。