関係性、国境

  • 2011.01.10
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デザイン、という言葉もちろん自分でも使ってきながら、どうもたまに語義として使い方が良いのだろうかなんて思う事が多く、裏返せば今の世の中が使うデザインという言葉が何となくフワフワして感じられるというか。。
この中でも「関係」という言葉がたびたび出て来てますが、それは当然な事で、人間というのは常に何かを選択し、空間的、時間的に配列しなければならない存在な訳で、常に関係性をつくらざるを得ない動物なわけで、その中でより良い関係性をつくるのがより良い生の為になるからこそ、デザイン、という行為が必要とされているんですよね。
前書きの中で「現代社会の閉塞感、生きづらさは、関係の貧しさから生まれているという仮説から出発し」とありますが、決して仮設では無いでししょうし、よく考えるべき事だと思います。
広くはまちづくり(この言葉が使われていないのは何故だろう)的な事も、今時のテーマとして随分出て来ていますが、どうも表層的な関係性を取繕っているような話が多い中、西沢立衛さんはさすがだなあと。「人々はデザインを通じて未知の関係性の広がりを期待するのです、ですから、未来を示すというのは、これからのデザインにとって重要な役割です」と。
もう一冊。やっぱり人口問題は今後何よりも大きな影響を持つだろうなと思いつつ。
色々な学説はあるにせよ、読む中で、人口の増加自身が問題ではなく、人間というのは必要であれば新たな方法を発明する、というような話に少し納得しつつ、ただ問題なのは国境です。
僕はある集団(村、国など)は集団として一つの人格を持つから、きっと何かの危機は何とかしのげると思っているのですが、地球、というのは決して集団ではなく、宇宙船地球号なんて言ったって,最後は他国をそこから押しのけて自分だけは生き残ろうという争いになるのが結末じゃないかと思うので、今は先進国の論理で様々なシナリオが描かれていますが、最後は力づくでしかないんじゃないかと。。悲観論。
じゃあどうしたら?と聞かれたら、やっぱり既存の価値観では解決できないから、西沢さんの言う意味での未知の関係性を示すような国家関係が示されれば、なんてよっぽど難しい事を答えにしてみます。