葉隠入門/三島由紀夫

  • 2018.06.04
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「葉隠」他の本で以前読んだことはあったけど、最近三島由紀夫を読んでまして、本書が、彼の生涯を通じて最も重要な書であったために書かれた本書を読んで、葉隠に対する誤解も、三島に対する誤解も解け、両者が僕の中でとても重要に感じられました。

『「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」という有名な一句以外に「葉隠」をよく読んだことのない人は、いまだに、この本に忌まわしいファナティック(狂信的)なイメージを持っている』
『封建道徳などという既成概念で「葉隠」を読む人には、この爽快さはほとんど味わわれぬ。この本には、一つの社会の確固たる倫理の下に生きる人たちの自由が溢れている』

それらの三島の言葉にも、本書に添えられた『葉隠「名言抄』(現代語訳もついて読みやすい)にも、引用したいところは山ほどあるのでキリがないので、僕なりに思ったことを。。

「死ぬ事と見つけたり」というのはつまり、人間って、生きるか死ぬかを選べと言われたら、なにやら言い訳をして、生きる方を選んでしまうのが人間の弱さだけど、それによって、「恥」を残してしまうものなので、だったら、無条件に「死」を選びなさい。という事で、つまり、「言い訳」するような生き方を、一瞬たりともするんじゃない、という事だと思います。また違う言葉で「勘定者はすくたるるものなり」というのがあり、つまり「勘定」=「理屈」をこねくって生きているような人間は「卑怯者」だと言ってます。

そして「武勇は、我は日本一と大高慢にてなければならず」とあるように、単なる封建的な自己犠牲的な生き方ではなく、そこには、自己実現と言っていいようなものがあるのだと思うから、「自由が溢れている」と三島も言うのだと思いますが、もちろん、そのためには一瞬でも「言い訳」を自らに許さないような厳しい生き方をしている必要があるのだと思います。

そしてそんな風に生きるために必要な事と思うのが、「腹が据わる」と言う表現はありましたが、僕としては「肝が据わる」と少し言い換えますが、時代は代わり、武士などではない僕たちにも、本当に大切な事ではないか、と思いましたし、これからの人生、努めてそのように生きて行こう、と、実は昨日誕生日でしたが、そんなことを思いました。そして、そう思えば、三島の生き方もそのようだったのではないか?と感じ、しばらくは三島由紀夫を読んでみることにします。