芭蕉 最後の一句/軽みについて

  • 2022.10.31
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先日の県の森林組合の表彰式の後、審査委員長の先生から「軽み」という言葉を聞いて、芭蕉と知って読んでみた。
プロポーザルから応募資料から、「軽やか」という言葉を何度か使っていたのもあって教えて頂いた言葉かと思うけど、確かに「軽やか」だと視覚的な面が強く、かといって建築物なのでそんなに軽やかなのか?という違和感もあったし、思想面で追求したつもりでもあったので、芭蕉の「軽み」とつながるところはないか?との強い興味があったのだけど、結果的には同じところを目指していると思った。

まず「俳句」って日本人ならそれなりに習って誦じてきたけど、一体何だったのか?と聞かれると答えられる人も少ないだろうけど、本書で寺田寅彦から引いていたものを、重要なので長いけど、、「俳句の詩形が極度に短くなったために、もし直接的な主観を盛ろうとすると、そのために象徴的な景物の入れ場がなくなってしまうので、そのほうは割愛して象徴的なものに席を譲るようになり、従って作者の人間は象徴の中に押し込まれ自然と有機的に結合した姿で表現されるより他に仕方なくなる。その結果として諷詠者としての作者は、むしろ読者と同水準に立って、その象徴の中に含まれた作者自身を高所から眺めるようになる」そうだ。
名句と言われるものからは、今の僕達でも感じられる深い何かはあるにせよ、でも基本的にはもっと昔からある西行の句や、そう言ったものの広くて深い教養があることで初めて感ぜられる、だからこそ深く学ぶ価値があり、芭蕉の門下に多くの人々が集まったのだろうけど、芭蕉曰くは、和歌も絵画(雪舟などの)や茶道も、俳諧と同じく「風雅」の道であり「あはれ」を見出すものであり、「変化流行してやまない造化の働きの中で、絶えず心新たにして万物に接していけば、眼に映ずるところ、心に思うところ、『花』や『月でないものはない、、、真に人間らしい人間になるためには『造化にしたがひ、造化にかへれ』と」そしてそれは「不易流行」ということでもあると。
そして「軽み」というのは最初から至った境地ではなく晩年に生まれてきたようだけど、「まず作意を捨て去って『軽くやすらかに、ふだんの言葉ばかり』で読むようにと『軽み』をいう。そうなれば、今まで和歌などには取り上げられなかったいろいろなものに詩情を見出していくことにもなる」「『高く悟りて俗にかへれ』と言う言葉は、まさに『軽み』の思想を端的に一言で表現したもの」であり「禅では悟りを得たならば、俗に帰り、日常の中に風光が現成するものでなければならないと言われ」有名な?「十牛図」でもそのように描かれていると指摘する。
また具体的には「軽み」は「重み」恣意的な、意図的なものなどを取り去った先にあるものであって、「優れた句は一見何でもなく見えるが、何遍も見てよく味わうと、その深みが見えてくるようになる」と言うように、初めて見て印象深いもの(は見飽きる)ではなく、ずっと前にも触れた吉田鉄郎の「みていやでない建築」に通じるような派手さは皆無だが毎日眼にしているといつの間にか良さが滲みてくる、ようなあり方なのだと思う。
タイトルの「最後の一句」については、芭蕉の最後の一句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と一般的に考えられているが実は以前の俳句を改めさせた「清滝や波に散り込む青松葉」が死の間際に芭蕉が示したものであり、「青松葉」には松尾芭蕉の音などが全て入っていて、またそれが「散り込む」とはサブタイトルの「生命の流れに還る」と言う意味での辞世の句でもあり、人間も含めた生命の本質を示した言葉であり、芭蕉が最後に伝えたかったことではないか?と言うのが本書の主張である。

と、俳句に何も詳しくないのにつぎはぎで書いてきたけれど、自分なりには大きな学びや気づきとなったと思うし、ここしばらくの建築への向き合い方に間違いはなかったと思うけど、芭蕉の時もそうだったように、もっと面白おかしい「川柳」のようなものに人々は飛びつき、芭蕉がいなくなると、その強い思いも忘れかけられたように、やっぱり、俳句でも建築でも、何かを「作る」においては、ついつい直接的なわかりやすさや評価を求めて、「軽み」からは遠ざかってしまうからこそ、しっかりと「高く悟りて」から始めなければいけないのだろう。

最後に、森林組合の建物だけでなく最近作るものにはそれを込めているつもりだが、木造において材が無駄に太かったり、構造体が無駄に主張をしたり、集成材によって木材の本来の美しさが殺されていたり、木造だからと仕方なく壁に穴を開けたような窓だったり、それらは「重み」だと思っていて、それを取り除いた先にあるものを求めてきた、という意味で「軽み」を目指している、と言う感じです。