石水館/白井晟一

  • 2011.12.07
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以前設計事務所をたたんだある方から頂いたうちの1冊。僕もいつかは後輩にごっそり譲ろう。
静岡市の芹沢銈介美術館の建設記録のような、でもとても中身の濃い1冊です。
ちょっと気になった一節があったので長いですが。
「木でも石でも紙のようにスライスしたものを使えば贅沢という人もないだろう。
今はプリント合板もあれば印刷したビニール皮膜を貼った大理石のりっぱなカタログもできている。そしていつのまにかそういうものにならされてしまった眼には、この建物の天井板1枚とっても、これは贅沢の塊と映るほかないだろう。もしわたしたちの仕事からそいういう贅沢を探しだそうとすればいくらでもでてくるだろう。
厚板は薄板よりぜいたく、花崗石はコンクリートブロックよりぜいたく、ブロンズはアルミよりぜいたく。まさかそういう価値観が社会生活の倫理基準からでるものだとは思わない。
ー中略ーだいいちそういう粗末な価値観からでる贅沢論の方向は文化も美もぜいたく、自然も宗教もぜいたく、とどのつまり生命又ぜいたくまで発展するしかないからだ。」
もちろん経済性を無視しても、と言っているわけではなく、でもそれは単なる軽薄な合理主義でもなく、「自然が包摂する真実と美への畏敬と、誠実な人間性」に基づいた人間の理性的秩序にもとづくべきものだと。
敢えて引用しているのは、もちろん自らの足りぬ言葉と思索では至れぬ所を見つけるからです。
上記のような贅沢を忌避するなら生きていることさえも忌避されるべきであり、もちろんそうであってはならず、「真実と美への畏敬」とともに我々の生がなければならないと思うのです。
そして建築もそれとともにある。
併せてミースの作品集をちらちら読んでいたのですが、素材への向き合い方の深さや、多くの面で(もちろん出来上がりの印象は全く違うのはご承知の上で)同じ質を感じ、そこに惹かれます。
そして2人とも寡作。。。。悩ましい。。
20年近く建築を考えて来て、やっとなんとなく登るべき山頂が見えたような。でも恐ろしく高い。
まだ先は長いからくたびれずに頑張ろうっと。