白痴/ドフトエフスキー

  • 2018.01.07
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こういう名著をやっと楽しく読めるように(遅いだろ)なってきたのかな〜と思いますが、漱石なら若くてもそれなりに楽しく読めると思いますが、これはあまり若いと分からないかもしれません。

タイトルの「白痴」というのが、「嘔吐」とかと同じかもですが、なんとなく手に取りにくくしてしまっているようにも思いますが、主人公のムイシュキン公爵は病的な「はくち」の面もありますがいわゆる「ばか=idiot 」という意味で使われていて、通常の人より違うことを言い出したり、反応が遅かったり、という面を周りが「おばかさん」と呼んでいるという感じ。でもドフトエフスキーが彼に表現したかったことは「無条件に美しい人を描くこと」であり公爵は他者に自ら何も求めない、という点で、与えるだけの者であり「この世にただ一人無条件に美しい人物がおりますーそれはキリストです」というのがこの物語の一番の骨格になっているようです。まあこのような名著の細かな解説めいたことはこれ以上やめておきますが。。

でも公爵をして、「ローマ・カトリックは全世界的な国家権力がなければ、この地上に教会を確立することはできない」「ローマ・カトリックは信仰ですらなくて、まさに西ローマ帝国に継続にすぎません」と語らしめていたのがとても印象的で、ここはロシアですから「正教」な訳ですよね。それ以上は詳しくもないので書きませんが、無条件に美しい人物は、ローマ・カトリックのためには存在していないということですね。。

もう一点、著者からの解説的な言葉として、人々には「大別すると二種類に分けられる。一つは枠にはまった人々であり、もう一つはそれよりも<ずっと聡明な>人々である。前者は後者よりも幸福である。枠にはまった平凡な人にとっては、自分こそ非凡な独創的な人間であると考えて、なんらためらうことなくその境遇を楽しむことほど容易なことはないからである」そして「聡明な<ありふれた>人というものは、たとえちょっとの間自分を独創的な天才と想像することがあっても、やはり心の奥底に懐疑の虫が潜んでいて、それが時には聡明な人を絶望のどん底まで突き落とすことがある」云々。。。公爵はそのどちらでない(と思う)がそのほかの多くの登場人物をそれに照らして読んで行くとなるほど面白いし、確かに自分も含めそういう分類は時代や世界を超えて存在してますよね。この辺りがやはり時代を超えて読み続けられる文学の価値なのだと思う。

さすが名著ですし、ぜひ「無条件に美しい人物」というものに共感をしてもらいたいです。