犬島アートプロジェクト「精錬所」

  • 2008.05.05
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新建築5月号です。
「文化」というのは「経済」とは別次元で生まれ育まれ残って来たと思いますし、今残されている建築の文化を見るとそれは分かると思いますし、逆に現代につくられる建築のほとんどは、経済性に多くを配慮せざるを得ない状況で生まれているという意味では、文化とは呼びにくいと思います。
その地域の中で、その地域のために、時間をかけて育てられる、そんな理想的な状況には、やはり文化の本質を理解するパトロンのような存在が必要ですが、現代は難しいですね。
前置きが長くなりましたが、このプロジェクトは、あのベネッセがが上記のような文化的な価値のためにつくったもので、もう20年近く、同じ瀬戸内海の直島で安藤忠雄さんとされてきたことの延長線にあるものです。
「地域創造」と「現代アートの力」といった言葉で表せるプロジェクトで、直島も(大学時代に建築学科の仲間と行ったなあ、懐かしい)良いかたちでそれを体現しています。
今回は、三分一博志さんを建築家として選んだ訳ですが、「環境に軸足を置いている」との評価をされ、今回の犬島、1909年に銅の製錬所がつくられたが、閉鎖されずっと放置されていた、という負の遺産としての環境を、いかに自然環境とともに活かし、アートの場とするかという方向の中、建築は実際に地中に埋まったり、環境に埋もれたようなものになっていて、建築家の手の跡というのが感じにくい結果ですが、それで良いのですね。
同号の別のインタビューで建築家トム・メインが言っていた事が重なりました。
「私は建築の中にもう『美』というものはなくなったと思います。美的価値というのは文化的に縛られているからです。。。私の建築は、、パフォーマンスの良さがいちばんだと思っています。」と語っていますが、「カタチ」としての美しさではなく、その建築に本当に求められるものを実現すればそれが評価され、愛される、ということですね。
そんな意味で、この犬島のプロジェクトも、長い時間の中での評価を得られることを目指しているのでしょう。
ただ、ベネッセも営利企業ですから、単なる慈善ではないでしょうし、一方でいくら経済性を重視した建築だって、長く残るものですから、文化性を織り込む事はできるんですが。
また直島とかと併せて、瀬戸内海の島に行ってみようかな〜。