犬と鬼

  • 2014.05.17
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建築家の堀部さんが以前「犬と鬼」について触れていたので気になっていて、古書で買ったところ、結構な書き込みがあり、おっと思ったのだけど、ある意味それも面白かったです。

著者のアレックスカーは8歳で最初に日本に来て、その後も各国に行ったりしながらいわゆる、日本をこよなく愛する外人の1人だけどまあそういう方こそ私たちより日本の良さも悪さも知ってますよね。で、本書は読み方を間違えれば日本バッシングに読めるので何故こんな本を出すのか聞かれて、著者は「義務です」と答えたそう。以前とてもまちづくりに熱心な方に、なんでそこまでできるかと聞いた時に「使命感」と聞いたのと同じようなことかな、やっぱり愛しているから自ら悪者になってもやらなければという事か。
まず「犬と鬼」というのは韓非子にある故事で皇帝が宮廷画家に描き易いもの、描きにくいものを聞いた所、犬は描きにくく、それは身近で控えめな存在は正確にとらえることが難しいからで、鬼は描き易く、派手で大げさな想像物だから、と答えたそうですが、表紙の写真は田園風景の向こうの山の斜面がコンクリートで見苦しく覆われた状態ですが、日本人は身近な大切なものを忘れ、分かり易く派手なコンクリートによる公共事業でその大切なものを駆逐しようとさえしている、という事に大変な危機感を表明しています。

何故そんな公共事業が止まらないのか?いくつかのキーワード。
日本にはエンジンは効率よく作動していても、ブレーキが欠けている。
某知事の言葉「インフラが整えば住民は豊かさを実感できる」
素晴らしく立派なつくりの古い家を去る老夫婦の言葉。まわりが「なんて非文化的な暮らしをしているの」というから。

そして、官僚たちがつくる彼ら今と退職後のための利益を守るための公共事業バラまきの止められない構造が相まって、国中に無駄な「モニュメント(的なハコモノなど)」ができ続ける。

まあしかし、その無駄なハコモノを設計した名だたる建築家たちが「空想的」「突飛」だと名指しでこき下ろされているのだけど、冷静に読むと、確かに「新建築」とか建築家の世界から見れば立派に見える仕事達も、確かに言い返せないなあと。つまり建築家は所詮、無駄であろうがそのハコの概要が決まってから飾り付けをさせてもらっているだけのようなものだし、実際つかわれなくたって、不評だって、建築家の中での評価があって株を上げれば、また次のさらに大きな仕事ができる、という世間と乖離した状況なので、以前書きましたが、例の新国立競技場の件も根っこはその乖離にあり、それを解消しない限り、つまり建築家が社会から本当の信頼を得られない限り良くならないのだと思います。
話はそれましたが、そんな大変な状況のはずなのに日本人はのほほんとしているけど、なんとなく温かくて居心地が良いなと思っていると最後は「ゆでガエル」になるし、著者は国力があるから破綻はしなくても徐々に衰退するだろうと言っています。が破綻した方が目が覚めて良さそうだけどね。。

打開するために「実(じつ)」が必要だと最後に言うけれどちょっと分かりにくいけれど、たぶん「形式」の対極の言葉であり、つまり日本は「形式」に走り続けてしまっているのだろうと思います。

ところで、最初に書き込みが沢山あった、と書きましたが「極論」とか「偏見」とか「欧米偏重」とかそんなのばっかり飽きずに書いてありましたが、日本人はそんなだから「形式」から逃れられなかったんだろうなと実感できたのでその書き込みも楽しみましたw

最後に僕なりのまとめ。。

最近読んで来た本のまとめでもありますが、人間の持つ左脳の自覚的な理性的な面と、右脳の持つ直感的で言葉にできない面において、西洋人はもともと前者が、東洋人は後者が、それも島国の日本は特に強くなったので、日本人は自ら考えることをせずに、高いところからの声に従うのが本性になってしまったけれど、明治と大戦以降、無理矢理左脳で生きようとしているけれどそれもできず、形式は左脳だけど実際は右脳、つまり民主政治をしているようで実は官僚たちが王のように振る舞ってそれに従うのを何も疑問視しない国民という、そんな構造なんじゃないかと思っています。

たまに書きますが、西欧はAll for One 日本はOne for All。だから「日本ではウソが集団のためになると思っている限りはウソをついたことにならない」なんて笑える状況になるんでしょう。

本書は本当に(当然的外れもあるとしても)日本の問題点を洗い出していると思いますし提言もあるけれど、僕は、まずは日本人はもともと西欧人と違う生き物だ、つまりあちらは魚ならこちらはカエルで、今はあちらのルールで水中で競争しているけれど、本当はこちらは飛んだ方が早い体の構造なんだ、という事を自覚する事がまずは不可欠なんじゃないかと思います。つまり形式を無理に西欧に合わせているという自覚をして自分たちに本当に合う形式を探す所から始めるべきだと思います。
建築関係の方、読んでなければ是非読んでみて下さいw