沖縄文化論/岡本太郎

  • 2017.08.28
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岡本太郎のイメージは、例の「芸術は爆発だ」や太陽の塔など、大芸術家ですが、若い頃はパリ大学で哲学や民俗学を学んだようですし、こんなしっかりした本を書いてこられたとはお恥ずかしながら知りませんでした。でも芸術も物理化学の世界も、一流になるには深い思想を身につけ、論が立つようでないといけないのだから、当然と言えば。。。

1959年、沖縄がまだアメリカ占領下で戦争の影響で人々は全てを失ってしまったようなままの(と言ってもアメリカやそれによりそう権力者たちは贅沢にしていた)時に沖縄に行くついでに文化論みたいのを軽く書こうと思っていた程度のようでしたし、民芸運動などで評価されたような沖縄独特?の文化も、所詮中国からの借り物でしかないとバッサリ切っていましたが、久高島にある最高の聖地と言われる「大御嶽/おおうたき」を訪ねたところ、その清らかなほど何もない姿を見て強い感動をし、「日本人の血の中、伝統の中に、この何にもない浄らかささに対する共感が生きている」と感じ、その時見られなかった神聖な儀式を見たいがために7年後にわざわざまた出向いたそうだ。

「私は極論したい。沖縄、日本をひっくるめて、この文化は東洋文化ではないという事だ。地理的にはアジアだが、アジア大陸の運命は背負っていない。むしろ太平洋の島嶼文化と考えるべきである」といい、禅や無や空などという思想?は大陸の、周りを征服して生まれた大きな権力が産んだ絢爛豪華な文化に対するアンチとして生まれたのだから、何もなかったのだから「清らかなほど何もない」ことを感じられるような日本人に理解できるわけもなく、分かったふりをして「わび、さび」なんて言い出したのだ、みたいなことも言ってまして、大胆だけど、それはそうなのかもしれないと思うし、中国からの借り物ではない、日本独特な繊細な?文化というのは日本全体にあったはずだけど、中国の文化に習ったり明治維新やらを通じて本土は捨て去ってきてしまい、でも沖縄にはその面影がまだ(今はもうないかもだけど)あるのだ、という意味で副題の「忘れられた日本」が沖縄にはまだある、ということなのである。

1972年の本土復帰際して書かれた部分に「去年沖縄の人に聞いた言葉に私は絶望感をおぼえた。『本土からいろんな人がやってくる。しかしお体裁のいいことを言っても、腹の中ではみんなわれわれをさげすんでいる』。先進国ぶったいつもの悪い根性だ。沖縄にこそ日本文化の純粋で純粋な原点がある。」と。つまり日本は上記の通りの「島嶼文化」なのであり、多分ハワイとかもそうだと思うけど、基本アニミズムで、独自の深い文化や習慣や感性を持っている(た?)国であったけど、特に日本は先進国の仲間になる過程で、全く対極的な方向への歩んでしまった、世界でも珍しい国だと言えるけど、その辺りに自覚的になれない限りは、いつまで二重人格者みたいなもので、いつまでも自らの意志を持てない国のままなのだろうと思うし、それはとても勿体無い事なのだと思う。そして私たち日本人が本来そうであった島嶼文化やアニミズムのようなものを、決して上から見るようなことだけは、なんとかやめて行くべきなのだと思う。