森の生活-ウォールデン

  • 2012.09.10
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大分の現場へ行くと積まれてしまった本が読めて楽しいです^^
著者ソローが1845年から2年少し、ボストンに近い町のウォールデン池のほとりで自ら小屋を建て野菜を育てたりしながら考え思ったことを綴った本なのですが、今読むとありがちな話のようにも読めてしまいますが、トルストイやガンジーなどにも大きな影響を与えたということからもその動機の深さが窺えるかと思います。
「私は町の若者たちが不幸なことに畠、家屋、納屋、家畜、農具の一切を相続せねばならないことを知っている。不幸というのはこれらのものを入手するのは容易だが捨てることが難しいからだ。彼らにしてみれば広大な牧場に生まれて、狼として育てられた方が良かったのだ。そうすれば自分たちがどのような田畑で働けば良いかという炯眼でものを見ることができたはずだ。一体誰が彼らを土の農奴にしたのだろうか?。。」
僕も全くそう思うんだけど、でもそこから逃れるのはとても難しいのは今も昔も変わらずというか恐らく今の方がさらに難しいんでしょう。
「私は独りで居るのが好きだ。孤独ほど親しい友達をみつけたことはない。」
「自分の眼を正しく内に向けよ、そうすれば分かるだろう。
自分の心の中に無数の領域が、
未発見のままであることが。その場所に旅をせよ、そして、
自分の心の宇宙誌の専門家となれ。」
孔子なども度々引用されたり東洋的なものに随分入っていたようです。
僕も、今では全くその通りだなと思いながら、でもここまで決してできませんが、生きてます。
「私は森に入った時と同じ理由でそこを去ったのである。どうやら、私には生きるためにもっと別な生活をしなければいけないように思えた。だから、森の生活のためにのみ時間を割くことは出来なかった。注目すべきは、どのようにして人は知らず知らずのうちに、あるきまった生活にはまり込んで、自分自身の慣れしんだやり方を踏襲するか、ということである。」
つまり、世間から逃れるのが大切なわけではなく、無批判に「踏襲」してしまうことからいかに逃れるかが大切だということなんだと思いますし、そのためにも「群れ」るのでなく、「孤独」と向き合うべきなのだと。もちろん物理的に独りきりでいるべきということでもなく精神的なことだと思いますが。
結構厚い本ですが、読み流せるところは流してでも、一度読んでみると良い本だと思いました。
ところで、人間はなんでそんなに衣類で飾り立てるんだろう?機能的に満たされていれば良いではないかというようなことが書かれていて、建築を見て回ったりしながら考えたんですが、確かに独りきりならそれで良いけど、服って不思議だけどちょっとでもホツれてたりするだけでとても気になってしまうし、建築も古くてもホツれて感じられないものは良いし、新しくてもホツれて見えるのは悲しく見えるし、建築における「ホツれ」感って何だろう?ちょっと大切な点だな、と思いました。
ま、自分なりには答えは出ましたが、皆さんも良かったら考えてみてください^^