村野藤吾さん展

  • 2008.09.22
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先週東京に行った時に行ってきていたのですが、同展覧会の本を買ってきていたので、それを読んだ所で書きました。
以前にも村野さんについては書いたと思いますが、僕は村野さんの建築に対する向き合い方というのにとても好きで(僕が建築を勉強させて頂いた徳岡先生も基本的に同じようであったように今思っていますが)、それなりに作品や本などを見て読んできていましたので、この展覧会も正直特に目新しいという気持ちはなかったのですが、何よりも、今となってこれだけ大きく村野さんが取り上げられるたということに驚いている面があります。
それは恐らく、コルビュジェや丹下健三さんといった時代の主流というか、主役ではなく、自らの道を歩んだ建築家として、生きている時代にはなかなか評価が定まりにくく、亡くなられて相当の時期が経って、やはり評価すべきものとして評価されているのかなと思ったりもしました。
例えば、長いですがそのまま引用しますが
「自分自身を一番信用しているということと、それかた与えられた条件を現在で解釈する、これしか仕方がないんじゃないか。それでいろいろ考えてみると、自分の精神だとか肉体がこれはもう決定的な要素を持つ、これ以外には過去も未来もないじゃないのか」という風に考えて自身をプレゼンチスト(現在主義者)と呼ぶわけですが、それは決して時代の主役のスタンスではないですよね。
そして上記のような事を宣言できるというのは、本当はすごく自分にプレッシャーを与える事なのですが、つまり、普通は、その時代の常識的なものに身を委ねて、全てを自分の判断とする事なく生きてゆく訳ですが、村野さんは、自分の外部に頼るべきものはないんだと言い、自分で全ての判断という重荷を背負おうとしたんだと思います。
ただ、村野さんは、有名な話ですが、建築家の裁量は1%程しかなく、残りの99%は施主の要望であったり現実的な側面だと言われているように、基本的には現実主義者だったのですが、でもその1%の部分は建築家の聖域であり、そこに魂を込めてこられました(実際1%は言葉のあやで、もっと大きな割合でしょうけど)
そんな村野さんだからこその言葉が「住宅を頼まれると私は災難だと思っているのです」という。
住宅にはとても生々しく重たい要望や生活があるから、それをきちんと正面から受け止めるべきだと考える村野さんにとっては、大変な重荷だったという裏返しの言葉でしょう。
でも、モダニズムからの住宅というのは、基本的にはそんな生の生活者の個別の声など圧殺してしまって、大きな時代の中での声明文のような形でつくられて来たわけですし、いまだにそんな風に住宅をつくっている建築家の方が多い(特に有名な方々)わけですが、村野さんはそれとは対極の所でずっとやってこられたんだと思います。
と簡単に語れる程の浅い建築家ではありませんので、今後もちょっとずつでも研究してゆきたいと思っていますし、基本的な建築への向かい方は倣ってゆきたいと思っています。