最澄と空海

  • 2019.05.05
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これも本当に今の僕にはとても染み入る内容で、大乗/小乗という歴史で習った言葉を今の世に重ねながら読みました。

どちらも「密教」として括られ、権威化し堕落した奈良仏教への強い疑問から山に入り仏教のあるべき姿を追求した二人で、最澄は良くも悪くもその後の日本の仏教の源流と言え、親鸞などもそこから出ているのですが、空海の真言宗は天台宗と対照的に宗教的な展開をほとんどしなかったようですが、それは宗教として完結してある種排他的であったから、と言えるようです。で、空海って「弘法大師(なんてことだ一発で変換できぬ)」と呼ばれたり、お遍路さんもそうですよね。以前は大変民衆に愛されたようですが、明治以降の特に学者層は、空海のある種の「神格化」されたところに懐疑の眼差しを向け、評価をしなかったことが世の中にも広まったしまっていたところに、梅原さんたちが空海の再評価を行なったことで、その後また脚光を浴びたりした経緯があったそうだ。

そして、日本の仏教は「大乗仏教」だと習ったと思うけれど、空海は既存の仏教を全て「小乗仏教」だと主張し、真言宗のみが大乗である、とした、というところにとても興味を引かれたのですが、つまりはその時の仏教が権威化していること自体が、一部の人間のための「小乗」の証でもあるし、若い頃、そんな権威的仏教から逃れて長い間山の中で過ごした空海は、日本土着の神々のいる山の中で仏教をある種「融合」させ、それの可能性を「密教」に見つけ、中国でそれを学んだ。そして崇めるのは「大日如来」ですが、それは太陽のような、宇宙のような存在であり、釈迦でさえもその働きの部分だと考えられるようで、だから宇宙の端々、というと言い過ぎとしても、行き年生きるもの全ての端々、にまでそんな仏性は及び、だからこそ「即身成仏」つまり生きながらにして仏になることができる、と説くのです。

と、いい加減なまとめはやめて、ご興味あれば是非お読みいただきたいのですが、最初に書いたように思ったことは、その時の仏教に起こっていた「小乗」化の現象は今世界中に起こり、さらに強まっている。つまり貧富の格差や自殺者の増加や、経済活動をする企業は当然のように、社員や株主を守る、という大義のために身勝手なことを続けているし、同業者団体、資格者団体も同じですね。

身近に言えば、「建築家」の世界もつまり「我が身可愛い」からお互い悪口言わないし、自らが作る建築を通じて、一人でも多くの人々に幸せをもたらそう、なんてことを思っていない(そういうことを言う坂茂さんは傍流扱いになる)から、やっぱり「小乗」ですね。

でもプロとしては「大乗」を目指すべきであり、つまり全ての人たちが、限られた所得の中ででも少しでも建築的な幸せを享受できるような努力をする必要があると思うし、でも実際は、ハウスメーカーの家や、くだらないマンションがボコボコできてもそれは次元の違う話で、近寄る必要もない、と考えている現状は、やっぱり空海的に変えてゆかなければならない、と思うのですが。。まあ「何言ってんだ?」ですね。

でも漠然と思っていたことが本書によって少しクリアになりましたが、自らの仕事も、そんな「権威」や「私欲」から逃れて「大乗」的なるものを目指さなければ、と改めて思いました。具体的にはまた実践を通じて書いたりするかと思います。