日本2600年史

  • 2017.12.14
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著者の大川周明氏は、民間人で唯一のA級戦犯で東京裁判に出廷したそう。というだけでどんな存在かなんとなくわかるけど、本書は最初1939年に出されるとベストセラーになりつつも「不敬罪違反」で一部削除させられたりしていたものが本書では復原されていて、その部分だけ読んでも面白い。

先日来読んでいた岡潔さんのことを思い出したが、根っこには、日本は「神の国」であり選ばれた民族である、という思想があり、だから「大東亜共栄圏」という発想にもなり、大戦に突入し、それを扇動した一人がこの大川氏だ、ということかな。確かに、天皇や当時の政府を非難した部分は削除されていても、歯向かってくる中国は叩き潰せ、みたいな部分はそのまま出版されたようだし。

「神の国」という考え方は、僕は否定はしないし、誇りを持つべきところだと思っていますが、その意識を他国に行使する、というのは避けるべきだったように感じる。最近もまた、南京大虐殺や慰安婦問題で、中韓が事実と違う誇大な内容で日本を貶めようとしている、というのも事実のようだし、日本が大戦を行うに至ったこともアジアには意義のあることだったとも思うけど、それを言い出すとそもそもはヨーロッパの帝国主義が諸悪の根源だったということにもなるし、責任を追及しだしたらキリがない。でも責任云々でなく、事実は事実としてできるだけ知っておくべきなんだろうし、自らの反省のためにのみ生かせば良いと思う。

でも、本書を読んで感銘したのは、歴史の見方について。どんな悠久なる大河も、幾多の小川が集まり来て、大きな流れになる、という例えや、「それ故にニーチェは、偉大とは『方向を与えることだ』と道破した」といい、歴史も、そのような大きく強い「方向」を与えたものにこそ本当の価値があるのだ、という価値軸を示していて、歴史なんて受験のための知識の集積として学ばされてしまった私たちには、改めて理解せしめる大切なことだと思った。そしてそんな強い方向を与えたものとして、聖徳太子や、源頼朝、徳川家康、というより織田信長を評価している。信長は殺されてしまったけど、彼が作った強い「方向」があったからこそ、秀吉、家康、続く江戸時代の安定があったという意味で。

では現代は?政治も産業も、そんな強い方向を生んでいるだろうか?資本主義、自由主義経済が、自動車が人類を幸せにしたか?スマホが人類を幸せにするか?

「方向を他に与えるためには、必ず自ら目指すところ、行き着かんとするところなければならぬ」「不動の理想」がなければならぬと。それを各界のリーダーに求めたいが、同時に、僕らもその理想が生まれる土壌を育まなければならない。

100年以上経った後に、これで良かったんだ、と思わせるような方向。もちろん僕らは死んでしまっているけど、だから無責任で良いわけは、「全く」ない、ですよね。

歴史では、そんな強い方向が生まれた結果しばらく良い時代が続くが、だんだん腐ってきて、それを打破するために新しい強い方向が生まれ、を繰り返しているし、現代はまず、腐っている方の分類に間違いないから、そのうち打破されるのか?でも前提が「国」という単位から「世界」というさらにまとまりのない単位に移行してしまったので、よほど大きな力が働かないとそれも難しそう。つまり腐り続けるのか。。