新建築6月/原広司さん

  • 2018.06.01
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那覇市の城西小学校。1987年に小学校ができてから継続的に関わり、今回室内運動場、幼稚園などが追加され、全体計画が完了した、とのこと。しかし原さんはすごい。

この計画などに関して「建築的構想の表記方法を提起する」として書かれた論も載っていて、ご存知の通り、でも普通は理解ができない、数学的表記によって書かれているので、僕にも付いてゆけないのですが、しばらく前に書きましたが、岡潔さんなど読んだ経験から、ちょっとその理解不能な原さんの説明への見方が変わりまして、すごい、と思ったのです。

僕らは、数学を、受験の道具として教えられてしまっているのがダメなんだと思いますが、本来、数学とは僕たちが社会の中で生きてゆくために必要な、生きた論理の一つの形なのに、形骸化したものしか理解でき異様にさせられてしまっているだけで、きっと原さんの中では、「生きた」ものなのです。そして、数学の特徴としては「意味」は排除されていて、普通建築論には「意味」ベタベタなのですが、それを避けるために原さんは数学を援用しているのかもしれません。また原さんの自邸は「住居に都市を埋蔵する」でしたが、その数学はやっぱり都市レベル(住宅サイズでも考え方として都市であれば良い)で援用されるべきものなんでしょうし、若い頃の世界中の集落調査の中から、無駄な「意味」を捨て去ることで、そんな数学的な面が見えてきたんでしょうか。

まあそこまでは方法論の一つじゃん?となりかねないけど、しかしできた建築の質が、もう81歳になられるそうですが、全く落ちていない。そこが驚くべきところでしたが、そこは、建築を、その建築家の「感性」つまり体力で衰えてしまうもの、に頼らず作り続けてきたからではないか?とも言えます。つまり論理的な一貫性が計画の土台にしっかりとあるから、ブレがないというか。

でもそれにしても、原さんにを追いかける建築家や、原さんの建築論を語る方は皆無のように思うけど、、数学者が、前の世代の偉大な数学者を踏み台(表現が悪い)にしてさらに数学の世界を高め続けているのだから、原建築論は、同じく次なる高みに繋がるはず?とも思うけど、やってみたくてもできるレベルの数学ではないので、誰もその山に登ろうとしないのか。。

原さんは、建築家は建築雑誌なんか見ないで、他の世界を見ろ、みたいなことを言ってたと思いますし、それは大きな教訓として僕の中にはありますが、まあ相変わらず建築家さんたちは仲良し団体ですよねw

改めて、色々考えてみなければ、と思わされました。