新建築5月

  • 2021.05.18
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久々ですが、素直に良いなあ〜と思い書きたくなりまして。。
法政大で木造を研究されていて、僕も良く書きますが「大径木」を活かす事に重きを置かれている網野禎昭さんのバウマイスターの家。
以前、自邸の「木のカタマリに住む」でも同じ平成建設だったようですが、その流れで、なかなか到達できないレベルのものが実現されてます。
壁や登り梁に30センチ角(太鼓に挽いたりしてできるだけ丸太を使い切る)を並べ、それで断熱性も確保して、1階の中央にRCの壁を入れることで耐震性を確保しています。
また、木材たちはできるだけ単純に組んで、その断面の大きさも含め、将来への木材のストックともなる。という。
こういうものは、ちょっと民家のような野暮ったい感じになりがちなんだけど、スイスやオーストリアで木造の研究や実務にも携わっていらっしゃったらしく、そのセンスが生きてますね。
誌中にも書かれてますが、国が大きな建築の木造を進めたりして需要が高まっていても、結局集成材になるようなやり方(扱いやすい細い丸太ばかり切る)だと丸太の金額は上がらず、森林側は補助金に頼ってなんとか丸太を出しているだけなので、今回の騒ぎのウッドショックになっても、決して供給量を自ら上げようとする体力も気力もなく、こんなことでは将来、良い木材など無くなってしまいかねないのだと思います。だから大断面だからこそできる木材の使い方をして、それが木造の本当の良さを伝え、その価値に対して費用が出される(と言ったって木材の原料費が倍になったって建設費は1割も上がるわけじゃない)ことで、将来も健全な森林や林業や木造が続いてゆくことができるのです。
という、僕がとても正論だと思っていることは、これだけ木造がちやほやされる時代でもまともに声をあげる建築家はいないので、網野さんにはもっとご活躍いただきたいと思っています。
そして、僕がそのためにしてゆきたいこととして、漠然とは考えていたのだけど、もちろん良い木造を作り続けることは当然のこととして、もっと川上に関わる、例えば森を買うとか、製材所を持つ(そこまでゆかなくてももっと近い関係となる)とか、そのあたりからやらないとなかなか思うことが実現できないということがだいぶ分かってきたので、ちょっと模索しようと思っています