新建築1月

  • 2019.01.17
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乾久美子さんの延岡駅のプロジェクト。8年がかり。大変ご苦労なお仕事だったのでは、と。
市民ワークショップなどを通じて、でも「まちとは?」の根っこの部分を議論できなかったのでは、という思いと、結局市側がCCCを引っ張ってきてしまったということ。

でも、既存の駅のようなRCのおおらかなフレームで作る事で、建築ではなく人々が主役となる事を当初から意図した結果として、上記のような悩ましい事情などもおおらかに包み込んでくれているように感じました。ただ建築家というか表現者としてはずいぶん抑えざるを得なかったでしょうけれど、得られたことも多かったのではとお見受けしました。

また乾さんは、今回のプロジェクトにおける「まち」と、自然や生態系というのはすでに常に人類の影響下にあって、あ外来種など含め否定的にばかり考えずに未来のあり方を考えるべきだ、という説を重ねられていたけれど、「まち」なんて当然抽象的でピュアなものでなんてあり得ないんだし生態系同様、過去も未来も変化する事を前提とするのは当然だけど、「まちづくり」を語るときにはついつい過去の良かった時を目標にしてしまいがちなのは、やっぱり意識的にやめなければいけないし、出なければ建設的な議論なんてできないですよね。

前のブログの「共感」云々のことと重ねますが、「まち」って「人の密度」だと思うし、人間って目の前の人間に無意識的に作用されるように生物的にできてしまっているし、それにそれによって集団生活をせざるを得ない人間として進化、進歩してきたのだと思うから、商業が寂れてしまっていようが、ついつい足が向いて、他の人たちからそんな作用を受けるような場所としての「まち」は不可欠であり、それが上記で議論できなかったとされるものへの僕なりの回答の一つです。以前の経験から「まちづくり」は語り出せばいくらでもできますがw

あと、右上のは槇さんのアガカーンセンター。これじゃ分からないけど、ディテールや内部や、経緯など、素晴らしいなと。右下のは妹島さんの大芸大アートサイエンス学科棟。これはちょっとやりすぎにしか見えませんw