新建築7月
深圳湾体育センターだそうです。延床25万平米。僕が勤めている頃担当した一番大きなもので養護学校で1万平米でしたが半分一人でやっていましたが、もう全体を把握できる限界でしたから、このくらいの規模になると訳が分かりません。つまり、ある種のシステム上で、あるルールをもって出来上がってしまう。しまうと書いたのは誰も把握しきれない大きさだから。だから簡単に良い建築はできない。と僕は思っています。
そこでは人間性が疎外されて、技術が勝ってきて、「どうだ」という建築になります。具体的にはこの建築も、「構造技術」が勝ち過ぎているように感じます。
昆虫たちもあのサイズだからよいけど、100倍したら恐ろしい!と冗談のようでスケールってそういう面があるように思います。だからこそ大きい建築こそ、もっとシンプルな何かに基づいて立上がらないといけないと思いますし、そんな意味では丹下さんの前半の建築なんてのは大きくても良いですよね。
もしくは、建築ってそんなに大きくならなければいけないの??とも。
そんなでかい建物の一角にいるより、うちみたいに小さい所の方が人間らしくて気持ちいいのになあ。それに決して大きくなったり高層化したりしても必ずしも人口密度が高く、効率的になっているというわけではないようですが。
ま、コールハースの「ビッグネス」という概念では、そんな批判はすっ飛ばして、大きい事で生まれる新しい価値というのが別次元である、なんて言い放ってしまっているようですが、建築設計をする限りはその時代背景を是認するしかないという事でしょうか。
僕はショッピングセンターは嫌いです。だって、あの巨大なお金を餌にする怪物にせっせと餌を運ぶアリさんみたいじゃないですか?という気持ちと上の話はつながっています。
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まずは中国とかビッグネスの話ですが、やっぱり日本人の感性はそのおおざっぱさには付いて行けないというか、そこに大きな断絶があるのは否定できないし今後もそう変わらないんじゃないかと思いました。
逆に言うと日本人の繊細さを持っていたら行きてゆけないというか。ちょっと考え過ぎでしょうか。。
「無時間モデル」確かにそうなんでしょうね。建築もまちづくりもきっと逃れられないでしょうね。
僕はどうも経済には興味が持てなくて、でも嫌でも逃れられないならもう少し正体は学ぶべきかなとも思いますが、昔から興味がないと僕の場合は全く頭に残らないのです。。
>凄く生き急いでるわりに「死」を恐れているように見えます。
いくら社会的に成功していようが、可哀想ですよね。
時間と向き合えば人間になれるし、人間であれば死は受入れられると思いますが、その逆なんでしょうね。