新建築2月

  • 2016.02.05
  • BLOG

sk1602_webフォーマット_CS4_決定

表紙はオンデザインさんのコーポラティブガーデン。で、集合住宅特集ですが「『シェア』という状況」という座談会が載っているように、シェア、がテーマとなっています。が、僕には興味はないですw
もちろん多様な選択肢ができてそれを選ぶ方がいる事について何の文句もないですが、この座談会の論調では、閉塞した状況に風穴を開けてくれるような社会的資本としての「シェア」みたいな大上段からの語られ方をしている様に(僕は)感じたのですが、そもそもその状況は何故生まれたのか?を前提としない小手先の対症療法的な手法論ではないか?という事です。また日本人の価値観も生活環境も大きく変わったとは言え、日本や日本人が根っこで持つ特性をきちんと理解せずしてコミュニティについて語って良いものか?とも思います。
裏を返すと、日本人にとってどんな環境が一番望ましいのか?それは実は江戸時代とか今でもある地域では自然に実現できているものであったりしないのか?であれば、それは何故奪われてしまったのか?と考えると、その理由の大きなところは、地価が高く、建築物(特に都市部や大きなものには)に強い耐火性能が要求されていることなどで、庭も無い、内部と外部が絶縁され、鉄の扉1枚で隔てられるような住まいが蔓延してしまった事なのではないか?だからそれから逃れる努力こそが本当にやるべき事じゃないのか?と思います。

シェアハウスにいれば、まあ新たな発見や出会いや変化がもたらされるでしょうし、それは若い限られた時期には価値はあるでしょうけれど、それだって、逆に一人になれないというデメリット(これは僕は大きいと思うーつまり迎合的になってしまう)など考えれば、他のやり方で得る事ができるのじゃないかと思う。また、古い建物を改修してシェアハウスにしたりという本号でも載っているような例について、中には残すべき価値のあるものの上手な転用もあるにしても概ねが、流行りのものを安くつくって、というビジネスモデルに見えてしまうし、そんな事よりも減りつつはあってもまだまだつくられ続ける新築物件が、50年後にまだ価値を保ち続け、その時代に有った転用をされる事をを目指して、そんな仕事に専念したいな、と思います。