新建築11月
移転で住所変更してなくて届いて無かったのでおかしいなと思いつつ。というわけで11月号。羽田ターミナル。やっぱり建築におけるスケールというのはなかなか乗り越えられんなあと改めて思いました。
僕も前の事務所では数十億という工事を担当していたりして、こちらの制御の範囲を超えてしまっているとどこかで感じていましたが、そんなの桁違いに大きいわけで、建築というより土木的スケールですね。
だから、こねくりまわしたり、変な変化をつけたりしないで、土木的な発想でもっとシンプルにやればいいと思うんだけど。。大きな建築物で美しいなって思うのは例えば丹下さんの香川県庁(旧都庁もそうだった)とか村野さんの庁舎建築とか、ラトゥーレットにしたってそうだけど、あるパターンの繰り返しはしていても、そのパターンの素材とプロポーションで決まっているように思いますし、大きな建築はそんな、構成するパーツの素材とプロポーションのバランス、それしかないように思ったりもします。そして最近の建築にはそれが感じられないから美しいと思えない。。
特に素材への向き合い方というのがとても大切かつ欠けているように思うし、隈さんなんかは、敢えて重い物を軽く見せたり素材に押されないようにしているように見えるけど、どうも僕は軽薄としか思えない(軽薄な時代だからそれが流行るんでしょう)
ピラミッドや、ローマなどの古い名建築たちを見れば、繰り返し、そして基本的には認知しやすいある形態がベースになっていて、そして石で出来ているという事で今なお感動を与えるようなものであり続けています。と言ってもそれらは国王などの絶対権力のもとでつくられたものであり、一方今は(良いかどうかは個々で考えるべきとして)個人の自由と、経済発展のために世の中は回っていて、そんな強い全体性がつくられる素地がない、という面もあり、結果建築に求められるものは当然違うとしても、でもやっぱり建築は美しくあるべきだと信じます。
「美しい国」だなんて言っていると脚を引っ張られる世の中。ああ寂しい。
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ありがとうございます。
サイバースペースの話は初めてかと。
先回書きましたように、人間は動物のひとつとして、生存と繁殖のために外界の刺激を単純化して処理する回路をつくってきたのだとすれば、やっぱりその期間に接してきた世界の中で「認知しやすい」ものを選り分けるクセがついて来てしまったから、今の様々な新しい環境に、いくら意識的に努力しようが難しいんでしょうね。そして東さんの推論は正しいかと思います。
翻って、こんな時代だから「リアルな建築がよりどころとして欲される」のか、建築がつくられ始めた時からそれは本質的に変わらないのか?というと後者だと思っていまして、建築の本質は「用強美」にも還元できないような、生存のためのリアルな拠り所であるからつくられ続けて来たのではと思います。
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僕の大学時代に都市のイメージは訳書を読みましたので、trsgrさんは少し上の世代でしょうか。笑。
「先入見」というのはハイデガーの世界内存在と同様な感じでしょうか?
僕は昔読んだ岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」で語られる、人間は本能が壊れた存在、という観点に何かとても共感をしてしまい、未だにその辺りが自分の思考の出発点にあるのですが、世界内存在、という人間の在り方自体が、本能が壊れたからこそそれを補うために人間が社会的に連綿と築いて来たものなんじゃないかと思っています。
ですからもちろん「新たな地平」へはそれを元にせざるを得ないのかと。。
論点ズレてましたら失礼しました。