建築・美術をめぐる10の事件簿
お恥ずかしながらも、本書でやっと磯崎さんが今まで様々な言説を行ない、書を著して来たのか、多少分りました。逆に言うと、今までは、正直、なんでこんなに言説をこねくり回さないといけないのか?というのが分らずに読んでいて、すごいなと思いつつもどうも身にならない読み方しかできて居なかったように思います。
本書では、歴史というのはそんな整然とした流れではなく、ある大きな「事件」が断絶的な変化をもらたして来ている、と。そして自ら経験した1968年の大きな事件というのが、根本的に自らのものの考え方に大きな影響を与えていると。そんな大きな事件の目撃した中心人物としての自覚が、本当に恐ろしい歴史や知的好奇心の源になっているようですし、そんなながれの中で今までの著書を発表して来た、と書かれている、というのが、上記の分りやすさの理由です。
磯崎さんもお歳だからでしょうか。今までそんな自らの解説めいた事は少なかったように(僕の不勉強なだけ?)思いますが、でも読んでいてとても良かったなと思いました。
その膨大な知、というのは僕らの頭に入れてもそのうち忘れ去るだけなのかもしれませんが、でも、何故そんな事を知り、考え、それに基づいて表現するべきなのか、という事は、僕らは知らなければなりません。
僕ら人間は皆、漂流者みたいなもので、でも自分を中心に能天気に考えればそれっきり。でも、少しでも海図を探し出し、自らの漂流して来た出発点と、向かいつつある場所と、知る事によって今自分が為すべき事を考える事ができる。とそんなところでしょうか。
また磯崎さん、きちんと再読せねば、と思いました。
人間誰しも寿命はありますが、磯崎さんは今までのどの建築家よりも再評価されるでしょうね。
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いつもながらに自らの勉強不足を感じさせて頂きありがとうございます。しかしどんな方なんだろ(笑)
1968年。私の生まれる前なので今更実感せよと言われても、というところですが、磯崎さんにとってのある種の原点のようですね。その歴史的意味を理解出来た思想家やアーティストが「自己言及的な批評」という方法に至り、そして自我は解体し、建築も解体されると。磯崎さんが解体と言っていた意味が今やっと多少分ったようなお恥ずかしい話です。
「スキゾ・エクレクティック」の話は面白いですね。
思想としてのスキゾ的なものは、(読んでいませんが)ミルプラトー的な、人間どこにも安定して、頼るべきものはないんだよ、という風に勝手に理解していますが、しかし建築というのはそんな簡単に体にこびり付いた垢を落とす事ができていないという感じでしょうか。
フォレストガンプ的ではないですが、磯崎さんも、読み手がしっかりしないと、単なる変わったおじさんで終わってしまうようで、やっぱりきちんと再読しなければならないと思います。
そして、でも僕は毎日図面を描かなければならない。その中に、自分なりに何を考え、組立てていくか。。戒めて行かないと、安易に流されますよね。