建築における「日本的なもの」
最近夜は疲れ気味で読み進まずやっと読み終えましたが、とても良い本です。というか今になってやっと磯崎さんの言葉が頭に残るようになってきたというか(お恥ずかしい事ですが)。
それは恐らく良く使われる「問題構制/プロブレマティック」という言葉に磯崎さんが書く理由があり、それが少し分ったからかもしれません。で、その問題構制というのは、海外がジャポニズムとして、またタウトが桂を絶賛することで外部の視線が入った事により起こる、つまり、何故違うのか?何故そうなのか?を考える必要がある状況になったというか。
またそんな外部からの伊勢や桂への視線が始まりとなって建築の世界でも「日本的なもの」がずっと議論され、師匠の丹下さんなんかはその中心に居た訳ですが、師匠ですから手加減気味というか。笑
ただ、坂口安吾の「説明付けられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない」また西行の「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」を引いて言わんとする事はつまり、超越したものであると。そして小林秀雄の「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と。それらを読めば大切な事が伝わってきますね。
また建築家としてのものの見方として、重源の東大寺南大門やその他世界でも、時代の革命期に純粋幾何学的な建築が生まれ、またそれがディオニソス的(構築される力が桁外れの構想力に裏打ちされた)であったと、また近代以降、そんな構築する力をもった建築がつくられにくくなり、島国だから成立してきた「日本的なもの」という問題構制自体が不能になる時代になるのではないかとあとがきに結ばれています。
また一方で、伊勢神宮のもつ強さは「起源を問うな、始源をひたすら反復せよ!それこどが非可逆的な時間に対処出来る唯一つの構築的な対応手段だった」からであり、「始源はいかなる場合も虚構である。そこには常に始源の前に起源があるかの如き騙りがひそんでいる」と。そしてその起源を問わないというのはつまりやはり超越性ということでしょうし、だからこそイセは未だに我々に畏怖の気持ちを与えるのだと思います。
この本自体がエッセイ集であり、また問題を投げたままのものたちであり、だからこそ今読んでも新鮮に感じられるようです。
でもやはり1960年代を生きたアバンギャルド世代というのは、僕たちはもう少し知った方が良さそうです。
問題構制(問題設定と読み替えると分り易い?)をひたすら続けて来たのが磯崎さんかもしれません。
それはつまり外部の視線を持ち続けるという事ですが、恐ろしく大変な事です。
ご縁で大分の住宅を設計させて頂ける事になり、行くのは大変ですが前向きに受けたいと思った理由のひとつは、磯崎さんの故郷であり、作品が結構見られるなあと思ったからでもありまして、5月の連休に行く事になりました。
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尊重されるべき始原と読んで、ルイスカーンのフォームとかを思い出しました。
確かに赤瀬川原平とかネオダダが取り巻いていたようですし、その環境から理解すると理解し易いですが、やはり僕らの世代には本質的に共感しきれない何か断絶を感じたりもします。同様に、焼け野原と廃墟についても。
でも今回の災害を見て、今の世代にもまたどこか似た質の影響は出るのか?それとも余りに情報が氾濫し過ぎて強いイメージとして以外と植え付けられないのかもと思ったりもします。
ある種の諦念というか、今の世代はもう最初から諦めている上で起こった事というか。。ちょっと良くわからぬまま書いてますが。
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やはり「零度の」は読まなければならないようです。笑
でも重源とともに現れ消えた大仏様というのはその後も残る家屋の形式とはまた違った激しさを持つようにも。
篠原さんとの湿度の違い、確かにそう感じますが、起源や始源へのスタンスの違いが逆だからでしょうか?カーン同様粘着質というか。笑
磯崎さん自身も使っているようですが、分裂症的にならざるを得ないのかもしれませんね。
建築家は分裂症的な職業らしいですし。