建築というお仕事

  • 2010.08.31
  • BLOG

昨日書いてアップする前に寝てました(笑)ので昨日の話です。
ちょっと飲んで語り合って、仕事という言葉について考えていました。
「仕事」って漢字は何だか意味ありげだけどちょいと調べる限りでは「仕」というのは「する」という言葉のサ行の当て字のようでがっかりでしたが、僕には「仕える事」というそのまんまの意訳がとても相応しいように思えます。
言い換えれば「天職」というだけなのですが、やっぱり仕事ってそうあるべきで、決して貨幣経済に仕えるんじゃなくて、人間の在るべき姿に仕えるべきものなんだと思います。
人間の在るべき姿って何?というのは、、まあ宗教じみた話になりかねないし、でも宗教的なものが、その世界にも存在し不可欠であったという事を考えても分かるように、人間に足りない何か大切なものの補ってくれたんだと思うので、そんな類いのものだと思います。
でもただ、地球は平面だと思っていた方が良かった時代では今は無いので、今の知の枠組みの中で、今の私たちなりに考えるべき事なのだと思います。
そんな事は多分、言われなくても分かっているはずなのですが、でもそれが出来ない理由は、様々な「足かせ」が私たちを離してくれないかななんでしょうね。。
でもその足かせは、自覚的になれさえすれば、外す事ができるはずです。
でもその自覚的というのがとても欠けてしまっている。
なんでこんな事ばかり考えているのか?というと、建築はとても長く残り、また他人にも否応無しにその存在を押し付けるという、余り他にはない存在ですし、それを考える設計者というのは、数十年以上後に対して責任を負うべきだから、こんな事を考えるのは義務だと思っています。
構造的にきちんとつくったって、人間性にかけた場所であったり、エコだとか言ったって、愛されない建物で早く取り壊されたり、身の回りで工事が始まるたびに悲しい気持ちになります。