岐阜へ

  • 2022.08.17
  • BLOG


日帰りで岐阜へ。まずは瞑想の森(市営斎場)は内部は入ったことがなかったので早起きして見学時間に行きました。
とは言ってもやはりこの池越しの外観が素晴らしいし、内部も含め、斎場という別れの場に相応しい雰囲気というか、亡くなった方とのお別れというのはある種の「内省」のように思うから、禅寺に近いような質が、このコンクリートの有機的なデザインで実現されている、というのはなかなか画期的ではないかと思う。築16年ほど経っているけど、雨を内側に招き、柱の中を雨樋にしている事が功を奏したのか、白い外観に嫌な雨垂れなども感じさせず、軽薄さも重苦しさもない、というのはなかなか得難いものだと思う。斎場は地域では迷惑施設的に見られるけど、みんな最後はお世話になるし、ただでさえ「死」を身近に感じられない世の中に益々なる中で、最後のお別れの場所が、このような質の場所であれば、せっかく生きているのだからより良く生きよう、という気持ちにもなるものだと思うから、ぜひ浜松にも欲しい!


しばらく前にも行きましたがメディアコスモスも近いのでまた寄り、キノコの本を読む私ww
先日豊橋のまちなか図書館に寄った時も思ったけれど、図書館がこうやって柔らかい場所になってきていて、それはきっと21世紀美術館などで、美術館が柔らかくなった流れと同じなんだけど、良いと思う反面、これもまた流行なんじゃないかな〜とも思う。

堀口捨己など読んでいたので、良い茶室を見たいなあと思っていたのもあり有楽苑へ。
先日も書いた「寸法」という言葉はやっぱりこういう最上の建築を実際に見ると、なるほど、と思うけど、やっぱり写真や画像ではなかなか感じられないので、こうやって来ないとダメだな〜。

そして国宝如庵。内部は撮っちゃダメだから目に焼き付けてきたけれど、今になってやっと、こういうものの価値が感じられるようになれたな、、と。
「寸法」って言葉が腑に落ちるようになれたのと同じ事だと思うけど、それは決して「スケール感」じゃなくて、もっと「触覚的」なもの。
藤森さんのは触覚的だけど、スケール的なものはあえて外してるんじゃないかと思うから、あれは海外に持って行っても良いのかも知れないが、これはやっぱり海外や他の場所(こういう庭がないところ)では成立し得ない。
建築なんて視覚でしかないでしょ?と言われるかも知れないが、この石や苔や壁や、障子や、、、やっぱり少なくとも僕ら日本人には、それを触ったらこんな感じだよね、って分かるはずだし、だからこれを見た時には間違いなく、「印象」としてその触覚的なものが影響していると思うから、これが「国宝」になり得ているんじゃないかと思う。

最後に犬山城に初めて登ってきたけど、お城はやっぱり好きではないけど、木造の城はやっぱりすごいし、城下は観光客で賑わい、なかなか魅力的な場所だった。けど暑かった〜〜。
という感じで本日よりお仕事。少し忙しくなって行きそうなので、こういうのを栄養にがんばろう。