家普請2

  • 2011.11.03
  • BLOG

続きです(^^)
そしてどうすればそんな状況が変えられるのか?という事について。
例えば国家だったら為政者と国民がいて、それぞれに「国家」という継続性のあるものについてお互い努力したりたまに怠慢で責められたりしながら時々大きな変革を起こしたりします。そして衣食の世界だと何度も食べたり買ったりしながら、その間情報も仕入れながらある種の良い淘汰がなされています。が、住(建築全般ですが)の世界では「一回性」つまりそうそう経験できない一発勝負的な世界で消費者側(つまりつくる側)は結果が良かったのかどうかも分かりづらくまた後悔しても始まらないので後悔の声は(衣食に比べ圧倒的に)聞こえて来ないというのが特徴なんだと思います。ということは供給者側の「良心」がより重要になるはずなのですが、書きました通り、この世界には「良心」なんて甘ったれた概念はありません。笑
それがあるとすれば「つくる側」でない「専業」設計者だけなのですがそれも実は危うい存在なのです。。建築士という国家資格の中で設計をやっている人間が一部いて、その一部が「つくる側」から独立して良心を持ち「得る」という建築士全体から言うと少数派でしかないから、医師会が声を上げるようには業界に対して声を上げる事はできないのです。
僕もそれなりな経験の後にこの発言をしていますので、異論があればいつでも受けて立ちます!!
ハセクンハシゴトガアルカラソンナコトイエルンダヨーって言われる感じなんですが、確かに仕事が無くて生活できないのは困るにせよ、一生に一度の大切な選択をしようとしている施主にあるべき姿をごまかすなんてプロとは言えませんよね。
つまりは建築士とか大きな組織としての良心に期待しても「無理」だという事でして、じゃあどうするかというと、つまり全体をいきなり変えようとしても無理なのでゲリラ的に、もしくはオセロのようにちょっとずつ色を自分の色に変えていってそのうちいつか全部が自分の色になることを目指すしかないということ。つまりはまずは理解し合える所で強い理解を共有しそれを形にして、近くでそれを目にして共感した方がその色に染まり。。。という連鎖を期待するしかないと。
キーワードは「違和感」つまり大きな流れの中でお仕着せに感じられるものに何か嫌な感じを受ける感性をもっている方こそがまずオセロでい言うとひっくり返るんですね。でも周りは今は全部反対の色のままかも知れないしそれは勇気のいる事かもしれないし、だからこそ周りは簡単にひっくり返らないのかもしれない。でも僕らはそれを勇気づけることはできます。
というかそのために僕は自ら作らないと偉そうな事言っても説得力無いだろと思いました(^^)
まだ具体的でないのでまだ続くかも。笑