坂口安吾

  • 2013.03.23
  • BLOG


大分への往復の読書タイムに。
文学作品って、肌に合う合わないがあると思いますが、僕の肌に合うなあと。
何故だろう??
登場する男女の会話
「あなたの謎なぞは渡しが必ず悪い女でなければならないのね」
「あべこべだ。僕は賛美しているのだよ」
「だから、悪い女を、でしょう」
「悪いという言葉を使った筈はないぜ。僕には善悪の観念はないのだから。ただ、冷たいということ、孤独ということ、犠牲者ということ、犯罪者ということ」
ここだけじゃ分からないかもしれませんが、まあ作家というのは登場人物に何か代弁させているはずで、読者はその言葉に力を感じれば引込まれるし、そうでなければ、、。
「善悪の観念」というのは実は僕にもあまりありません。
誤解されると困りますが、悪い事をしても良いと言ってはいません。
「善」と「悪」の境目なんて状況によって変わるし、はっきりしないにも関わらず、「善悪の観念」というのはとりあえずどこかで線を引いて、ここから先は善、ここから先は悪ね。と決めつけますが、それが好きではないし、状況によって、自分の価値観において、善、悪というのを各自決めるべきだと思っている、という事です。
善悪に限らず、世の中の多くの事において、誰かが勝手に決めたその「線」に無批判に誘導されてませんか?
たとえば「エコ」という言葉もその一種なので、僕は信用しないし、嫌いですし、使いませんw